【置き去りにされた被災地を歩く】第1回・千葉県旭市
「まさか」の時間に押し寄せた巨大津波 恐怖の経験「語り部」となって伝える

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二重三重の苦しみ「知られていない」との嘆き

   旭市では震災で死者13人、行方不明者2人を出した。千葉県内の死者20人、行方不明者2人だから、大半が旭市だ。全壊家屋は336棟に上る。これほどの損害を及ぼすとは、市民も想像できなかったようだ。

   市内にあるショッピングセンター「サンモール」支配人の柳町年男さんは、「以前は災害イコール火事、台風でした」と話す。建物は立地上、津波の被害はなかった。しかし、大規模の地震だったため顧客を安全な場所に避難させるために社員が対応に追われた。現在では大地震を想定した独自の避難訓練を実施しているという。

   津波や液状化で住宅に被害が出た場合は、条件に合致すれば国や市から支援金が支給されるが、金額として十分とはいえないようだ。津波に破壊されてがれきと化した自宅や車を処分し、土地を整備して家を新築となれば、費用は相当な額に達する。市民の中には「行政の対応が不十分だ」との不満も出ている。

   東北の津波の被害があまりにも大きかったため、旭市の災害に注目が集まりにくいのも事実だ。今も仮設での生活を余儀なくされている人は多い。津波に加えて液状化や、原発事故による放射能被害で農産物や魚介類の出荷に影響が出るなど二重、三重の苦しみを味わいながら、全国的にそれほど知られていないことを嘆く声が、取材を通して聞かれた。

   仲條さんは、以前と同じ土地に再び自宅を構えた。だが周囲には、家を流された後に出来た空き地や、シャッターが閉まったままになっている店が目立つ。転居を決意する住民も少なくないようだ。人が減った影響か、「売り上げが6割程度にまで減った店もあるようです」(仲條さん)。

   終わりの始まり――。震災から1年たった心境を、仲條さんはこう表現した。津波への不安は消えないが、「郷土愛はなくなりません。家族や近所の皆さんと『今度津波がきたら、すぐに逃げよう。その後で戻ってきて住めばいい』と言葉を掛け合っています」と打ち明ける。

   だからこそ、「語り継ぐ会」を通して「津波から身を守るにはどうすればいいか」を広く、多くの人に知ってほしいのだ。仲條さん宅の居間にかかっているカレンダーは、会の行事や近所の人との交流のため予定が連日ビッシリと埋まっていた。

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