放射能、夫の失業、子どもの健康…悩みは尽きず
イベントの後、お迎えに来られた園児の保護者お二人とお話ができました。どちらも原発避難区域から数ヵ所を転々とした上で、郡山の借り上げ住宅にお住まいです。浪江町ご出身の女性(6歳と4歳男児の母親)は、「以前は家族3世代10人で暮らしていたのに今はバラバラ。主人は福島の原子力発電所での仕事を辞めたものの再就職先が見つかりません。祖父母の健康も心配なのに、今はなかなか会いにも行けない。もっと孫の顔を見せてあげたいのに…」など、たくさんの不安を抱えておられました。
川内村ご出身の女性(5歳と1歳半女児の母親)のご主人は、今も福島第一原発三号機の事故処理作業に従事しておられます。「主人と会えるのは2週間に1回だけ。避難してから子どもたちの泣く回数が増えました。祖父母は津波からは逃れたものの、避難先の老人ホームで亡くなりました。借り上げ住宅には入れましたが、近所付き合いがないため誰とも話さない日もあり、情報が入らずとても困っています。下の子を預けて働こうにも預け先がないのです。子どもを外で遊ばせたいのに放射能の問題でそれもできません。長女の自転車の練習も震災後は一回もできていないので、うちの子は乗れないまま大きくなってしまうのかしら…。」と、悩みは尽きません。
それでも手作りトートバッグや直筆メッセージつきチョコレートには表情も和らぎ、「手作りや手書きのものをおくってくださる、その気持ちがありがたいです」と喜んでくださいました。
震災からもうすぐ1年。難民を助ける会は福島県での支援活動を継続すると同時に、ご支援くださる方々と、被災地の方々の心をつなぐ活動を引き続き行ってまいります。
(難民を助ける会 東京事務局 伊藤美洋)
「サニーちゃんは、どうやって来たの?」「たんぽぽの綿毛でできた気球に乗って
来たんだよ。みんなへ届けるチョコレートもどっさり積んできたよ」「やったー!」
受け取ったチョコレートと応援メッセージを大事そうに抱えて
認定NPO法人 難民を助ける会
1979年、インドシナ難民を支援するために、政治・思想・宗教に偏らない市民団体として日本で設立された国際NGOです。
2011年3月11日に発生した東日本大震災を受けて、地震発生当日より活動を開始。宮城県仙台市と岩手県盛岡市に事務所を構え、緊急・復興支援を行っています。
活動にあたっては、特に支援から取り残されがちな障害者や高齢者、在宅避難者、離島の住民などを重点的に支援しています。食料や家電などの物資の配布、炊き出し、医師と看護師による巡回診療など、多面的な活動を続けています。
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