かつてはデパートにつきものだった「屋上遊園地」を、最近めっきり見なくなった。いまや都心では松坂屋上野店、京王百貨店新宿店など数か所を残すのみだ。
「昭和」の名残とも言える貴重な遊戯施設は、このまま消えていくのか。
「元祖」の松屋浅草も閉鎖
現在のような形の「屋上遊園地」の第一号は、松屋浅草の屋上に1931年作られた「スポーツランド」とされる。戦後に入ると全国の百貨店に広がった。50年代から60年代にかけては、デパートの屋上には必ず自動木馬やさまざまな遊戯装置が並ぶ遊園地があって人気だった。
ところが、70年代に入ってデパート火災が相次ぎ、消防法の改正で屋上利用の規制が厳しくなった。さらにはゲームセンターや本格的なテーマパークなど他のアミューズメント施設の台頭などに押され、徐々に姿を消していった。
2010年5月、「元祖」の松屋浅草では業績不振などを理由に4階以上のフロアの営業を打ち切り、それに伴い屋上の遊園地も閉鎖された。東急百貨店東横店の「プレイランド」も建て替えによる東館取り壊しのため、2013年いっぱいで営業を終えることが決まっている。改装後の屋上の使い道は「まだ計画中」だという。
関西でも半世紀にわたって親しまれた京都高島屋が2012年1月、屋上遊園地から撤退した。利用客の減少や施設の老朽化などが原因だと報じられている。
日本百貨店協会によれば、百貨店の屋上の使い道について特に調査したことがないという。実際には、緑地やペットショップ、園芸用品店、スポーツクラブなどに転用するケースが多いようだ。
松坂屋上野店は「常連」に支えられる
一方で、松坂屋上野店の「屋上遊園」を運営する加藤工業の齋藤睦さんは、「ここ最近、むしろ客足は伸びている」と話す。
休日の来園者はのべ200~300人。親や祖父母に連れられた子どもたち以外にも、クレーンゲーム目当てのマニア層や、憩いの場を求める年配客なども弁当片手に訪れる。売り上げは決して大きいわけではないが、齋藤さんによれば「力強い常連客」がその運営を支えてくれているという。
「地元密着型の上野松坂屋では『子どものころから来ている』という年配客も多く、昔ながらの屋上遊園地を必要としてくれている。店もサービス券を配るなど運営に積極的で、それが他店と違い今まで続けてこられた要因では」
不安な時代、「懐かしの遊具」が結構人気に
屋上遊園には現在、「木馬」「ミニ鉄道」「バッテリーカー」といったおなじみのコイン式遊具のほか、メダルゲーム、クレーンゲームなど全部で102台が設置されている。「昭和36年製造」のシールが貼られた大ベテランもある。
「昭和」の懐かしい記憶が残るレトロな遊具……。「ディスプレーが付いているわけでもなく、ただ揺れるだけですが、今も子どもたちには結構人気がありますね」。
震災後は「電力の無駄遣い」などと苦情の電話もあったというが、「子どもを楽しませるために電気を使っているんだ。こんなときだからこそやるべきではないか」と、震災の2日後から一貫して営業を続けてきた。訪れた人からは「開いててよかった」とほっとする声が聞かれ、来園者数も前年を上回る月が続いた。震災後の不安な時期、昔ながらの屋上遊園地という存在に人々が心の癒しを求めたのでは、と齋藤さんは語り、その将来に期待をのぞかせる。
「個人的な考えだけど、『屋上遊園地ならではの良さ』を、殺伐としたときだからこそみんな求めていると思う。ゲームのハイテクさだけが全てじゃない。世の流れには逆行しているようだけど……絶対つぶしませんよ」