私たちは農業の客寄せパンダです 元ギャル社長と俳優が語る「日本の農」

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   俳優の永島敏行さんはずっと昔から農業と関わりを持っている。元ギャル社長の藤田志穂さんがコメ作りを始めたのは2、3年ほど前だ。農業へのかかわり方やキャリアは違うが、農家と都会、若者をつなぐ役割を果たしたいという点では一致している。農業の楽しさ、大変さ、そして将来の夢などを二人に語ってもらった。

おにぎり1個が届く裏には苦労がある

青空市場を運営している俳優の永島敏行さん(左)と、元ギャル社長でノギャルプロジェクト代表の藤田志穂さん(右)
青空市場を運営している俳優の永島敏行さん(左)と、元ギャル社長でノギャルプロジェクト代表の藤田志穂さん(右)

――永島さんは、8年ほど前から都会の人が直接生産者と交流できる「青空市場」を運営しています。どんな活動なのでしょうか。

永島 「青空市場」は全国各地の生産者が、自慢の生鮮品を都会の人に直接売ることができる場所で、毎月第4金曜日に東京駅行幸地下通路で開催していています。そこで知り合った生産者と協力して、東京都調布市の仙川で「八百屋」もやっています。

――何がきっかけで始められたのですか。

永島 20年ほど前に秋田で米作りを体験しました。その時、自分は本当に農業のことを知らないなと感じたんです。都会ではコンビニのおにぎりが消えて無くなる、なんてことはないですし、そのおにぎり1個が届く裏にはどんな苦労があるのか見えない。「あって当たり前、無きゃ不思議」というのは、本当に怖いなと思いました。それで、消費者に少しでも生産者のことを知ってもらいたいと思い、農業から最も遠い東京のど真ん中で「青空市場」を始めました。

――たしかに都会で暮らしていると見えないことは多いですね。藤田さんは「ノギャルプロジェクト」で実際にお米を作っていますが、きっかけは?

藤田 高齢化で放置されている田んぼが増えているという話を聞いたときに、農業が急に身近な問題に感じられました。自分のふる里と重なったんです。祖父もお米を作っていたのですが、亡くなってから田んぼは放置状態でした。若者が参加して、何かが変わればと思いました。社長を辞めて2008年に、若者に食や農業を知ってもらうきっかけになればと「ノギャルプロジェクト」を立ち上げました。
   2009年からは、秋田県大潟村にある約24ヘクタールの田んぼで、「シブヤ米」という名称のあきたこまちを作っています。「減農薬・減化学肥料栽培」なんです。ほかにも子供と一緒に行く野菜収穫ツアーも企画しています。

ギャルたちが「私、幸せかも」

「20年前米作りを体験したとき、自分は生産者のことを何も知らないなと感じました」(永島敏行)
「20年前米作りを体験したとき、自分は生産者のことを何も知らないなと感じました」(永島敏行)

――「都会と生産者」、「若者と生産者」をつなぐ「架け橋」として、一番うれしいことはなんですか。

永島 八百屋をやっていてつくづく思ったのは、「コミュニケーション」って大事だなということです。50、60歳でも「カブ」の食べ方を知らない方はいます。その人に「どうやって食べるんですか?」と聞く。これが農業に対する興味をかきたてる第一歩ですし、「この間のカブおいしかったです」と感想を伝えてくれれば、生産者の張り合いにもなります。そういう双方のコミュニケーションの架け橋になれるところが1番いいなと思います。
藤田 ギャルの子たちの反応ですね。ツアーで参加してくれた人がよかったと言ってくれる。みんな1度きりじゃなく、何度も来てくれるんです。最初は畑仕事を嫌がっていた子も、終わったときには「私、幸せかも」って言っていました。不登校の子が農業体験をきっかけに学校に行くようになったと聞くと、やっぱりうれしいものです。
   農家さんも若い人を連れていくと喜んでくれます。作業が終わった後は、反対にギャルの子がメイクの仕方を農家の奥さんに教えたりしていますよ。

――「自分で作る」だけが農業への貢献ではないと?

永島 もちろん僕も秋田や千葉で米作りや野菜作りをしています。そこから生まれる絆も大きいですから。ですが、今の日本では農家側だけがんばっても立ち行かなくなっている。流通や販売、何より消費者と話しあえる場が必要だと思います。まずは、どうすれば消費者が農業にかかわっていけるか。そして農業側もどれだけ受け入れてくれるか。互いをつなぐ「プロデューサー」がますます必要になってくるのではないでしょうか。

――永島さんはいま、ちょうどプロデューサー的立場にありますよね。

永島 そうですね。僕は幸い役者なので「客寄せパンダ」でいいと思っています。永島がきっかけでたくさんの方に農業を知ってもらえれば、それはそれで役割を果たせるのではないかな、と。
   5年ほど前から、世田谷区の「スクーリング・パッド」(社会人のための学校)で農業の講座の進行役をしているのですが、働き盛りの20~40代の受講生がとても多いです。意外でした。彼らの想いや都会で培ったスキルを地方の農家に還元していったら、日本の農業もかなり変わるかも知れません。

農業を「将来の選択肢」にしてほしい

「不登校の子が農業体験をきっかけに学校に行くようになったと聞くと、やっぱりうれしい」(藤田志穂)
「不登校の子が農業体験をきっかけに学校に行くようになったと聞くと、やっぱりうれしい」(藤田志穂)

――今後の目標や夢はなんですか。

永島 「食のコミュニケーションの場」を増やすために、移動販売の八百屋をやってもっといろんな人と触れあっていきたいと思います。もちろん千葉の体験型農業も続けていろんな人に参加もしてもらいたい。あとは農業をテーマにした映画も撮りたいですね。
藤田 去年、熊本の農業高校の学生たちと熊本産のトマトを広めるためにレトルトのハヤシライス商品開発をしました。商品化されて目に見える形になると、学生たちもとても喜びます。そうやって若者に農業を「将来の選択肢のひとつ」に入れてもらえるよう、入口を広くしていくのが役目かなと思っています。

――日本の農業について提言はありますか。

永島 農業側も変わらないといけません。一例ですが、農業技術を東南アジアに教えにいくのもいいと思っています。過疎が大きな問題になっていますが、そうした場所に移住したいという人がいるのも事実です。もうひとつ、「作る」だけじゃなく人を育てるという面でも「農」が生きてくるはずです。僕の子どもも、秋田の田んぼで泥んこ遊びをさせましたが、喜んでいましたよ。

   食糧自給率の低下や後継者不足問題、そしてTPP参加と、問題山積みの「ニッポンの農業」。そうした中で再生への取り組みも進みつつある。J-CASTでは、農業の将来を考えるトーク番組を3回にわたり、「J-CAST THE FRIDAY」スペシャルとして放送する。第1回目のゲストが永島敏行さんと藤田志穂さん。番組は、2012年2月13日に放送された。


プロフィル
永島敏行(ながしま・としゆき)さん…俳優、(有)青空市場 代表取締役
1956年、千葉県生まれ。高校野球の選手であった経歴を買われて、1977年、映画「ドカベン」でデビュー。身軽なフットワークと安定した演技力で映画、テレビドラマ、舞台と幅広く活動している。1993年に秋田県十文字町(現横手市)で初めて米作りを体験して以降、俳優として活動する傍ら東京都銀座で「青空市場」を開催し、生産者と消費者の架け橋として精力的に活動。2005年2月には同名の有限会社を設立し代表取締役に就任した。

藤田志穂(ふじた・しほ)さん…元ギャル社長、ノギャルプロジェクト代表
1985年、千葉県生まれ。19歳でギャルでも出来る事を証明する為に「ギャル革命」を掲げて起業し、2005年、ギャルの特性を活かしたマーケティングを行う会社「シホ有限会社G-Revo」を設立した。2008年12月に社長業を引退後は、藤田志穂事務所を立ち上げ、若者が食のあり方について考える「ノギャルプロジェクト」を中心に活動している。著書に、「ギャル革命」(講談社)、「ギャル農業」(中央公論新社)がある。


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