ギャルたちが「私、幸せかも」
――「都会と生産者」、「若者と生産者」をつなぐ「架け橋」として、一番うれしいことはなんですか。
永島 八百屋をやっていてつくづく思ったのは、「コミュニケーション」って大事だなということです。50、60歳でも「カブ」の食べ方を知らない方はいます。その人に「どうやって食べるんですか?」と聞く。これが農業に対する興味をかきたてる第一歩ですし、「この間のカブおいしかったです」と感想を伝えてくれれば、生産者の張り合いにもなります。そういう双方のコミュニケーションの架け橋になれるところが1番いいなと思います。
藤田 ギャルの子たちの反応ですね。ツアーで参加してくれた人がよかったと言ってくれる。みんな1度きりじゃなく、何度も来てくれるんです。最初は畑仕事を嫌がっていた子も、終わったときには「私、幸せかも」って言っていました。不登校の子が農業体験をきっかけに学校に行くようになったと聞くと、やっぱりうれしいものです。
農家さんも若い人を連れていくと喜んでくれます。作業が終わった後は、反対にギャルの子がメイクの仕方を農家の奥さんに教えたりしていますよ。
――「自分で作る」だけが農業への貢献ではないと?
永島 もちろん僕も秋田や千葉で米作りや野菜作りをしています。そこから生まれる絆も大きいですから。ですが、今の日本では農家側だけがんばっても立ち行かなくなっている。流通や販売、何より消費者と話しあえる場が必要だと思います。まずは、どうすれば消費者が農業にかかわっていけるか。そして農業側もどれだけ受け入れてくれるか。互いをつなぐ「プロデューサー」がますます必要になってくるのではないでしょうか。
――永島さんはいま、ちょうどプロデューサー的立場にありますよね。
永島 そうですね。僕は幸い役者なので「客寄せパンダ」でいいと思っています。永島がきっかけでたくさんの方に農業を知ってもらえれば、それはそれで役割を果たせるのではないかな、と。
5年ほど前から、世田谷区の「スクーリング・パッド」(社会人のための学校)で農業の講座の進行役をしているのですが、働き盛りの20~40代の受講生がとても多いです。意外でした。彼らの想いや都会で培ったスキルを地方の農家に還元していったら、日本の農業もかなり変わるかも知れません。