2月11~12日に実施された「Feel!いわき」参加者の一人から、主催者に感想文(詩)が寄せられた。そのコピーが届いた。11日夜の交流会に参加した(=写真)。そこに、その人が写っているかどうかはわからない。
詩は「画面をとおして見ていた『あの』場所へ行く」という1行から始まる。「第三者意識の僕」はある日、「自分で行っていわきを感じよう」という、ネットのツアー呼びかけを見て即座に手を挙げる。
で、いわきに来る。「海岸そばで初めて僕は『あの』町に降り立った」。コンクリートの基礎の残骸しかないそこで「まぼろしの家族が僕の頭に浮かんできた」。そこにあっただろう家族の日常、つまり当たり前の「そんな人々が暮らしている情景が一気にいくつも立ち上がり、/笑い声や話し声、生活する町の音まで聞こえてきた」。
「ほどなくすると/突然それらの風景はグニャリとゆがみ/想像上の風景が流され始めた」。風景を構成しているいっさいが猛烈な勢いで山の方へ流され、次に引き戻されて「海に深く沈んでいった」。
そのあと意識は「今」に戻る。「僕はたくさんの『この』町に住む人たちの話を聞いた」。3・11に起きたことを歴史の証人として語り続けることを使命と感じる人間、肉親を亡くしたことをさらりと話す人間、結婚が白紙になったことを語る人間……。「もはや『悲しみ』『涙』なんて言葉は軽すぎてみえてくる」
「どの人も僕に同じ言葉をくれた/『この町を訪れてくれてありがとう』/『よかったら、またいらしてください』//あなたたちが大好きな『この』町/僕もそう思えるようになったかというと、それは疑わしい/ただ、そんな『この』町を大好きなあなたたちを好きになったかもしれない」
誰であれ、3・11には全身で向き合わないとはじきかえされる。全霊を傾けないと押しつぶされる。いわきを深く感じたあなたはもう「傍観者」ではない。
(タカじい)
タカじい
「出身は阿武隈高地、入身はいわき市」と思い定めているジャーナリスト。 ケツメイシの「ドライブ」と焼酎の「田苑」を愛し、江戸時代後期の俳諧研究と地ネギ(三春ネギ)のルーツ調べが趣味の団塊男です。週末には夏井川渓谷で家庭菜園と山菜・キノコ採りを楽しんでいます。
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