2012年1月25日、とうとうFRB(連邦準備制度)が2%のインフレ目標を導入した。世紀の方針転換だ。インフレ目標は金融政策の枠組みとして広く世界各国で導入されている。数年後のインフレの目標を設定して、後は中央銀行に任せて経済の安定を達成するというものだ。
目標を設定することによって国民が長い目で経済活動に専念できる。この枠組みを先進国で取り入れていないのは、日本と米国だけだった。
日本の論調「インフレ目標はだめ」だった理由
米国はグリーンスパンの超人的な金融政策に負うところが大きかったので、インフレ目標のような中央銀行を縛るモノは不要と考えられていた。グリーンスパンの後任のバーナンキFRB議長は、インフレ目標が中央銀行の行う金融政策に透明性を与え、またインフレ目標を設定することは市場と中央銀行のコミュニケーションになって経済を安定化させるというインフレ目標の理論の世界的権威であった。
私は1998年から2001年までプリンストン大学に留学したので、バーナンキ議長と彼がプリンストン大学教授時代に個人的にかなりお世話になった関係で親しくさせていただいた。
彼のインフレ目標論について、彼との単独インタビューを掲載した本を出版するなどいち早く日本に紹介してきた。私がプリンストン大学留学を終えて日本に帰国後、彼はFRB理事等を経てFRB議長に就任したので、いずれ米国でのインフレ目標を導入すると思っていた。
9年ほど前に、彼がFRB理事に就任したときに、そんな記事を書いたことがある。その当時の日本では、インフレ目標はその達成手段がないからダメという論調ばかりだった。はっきりいえば、デフレを容認して無策の日本銀行が、責任回避のためにマスコミや学者にそういっていたからだ。
インフレ目標にすると、それを達成できない場合には、日銀に説明責任が発生するが、日銀はそれを嫌っていたのだ。その論調は今でも続いている。私はプリンストン大留学時代に、インフレ目標がいかにいい枠組みかをバーナンキ、クルーグマン、ブラインダー、ウッドフォード、スベンソンらの世界の一流教授から聞いていたので、日本に帰国してからギャップに驚いたものだ。