阪神・淡路大震災から17年。きのう(1月17日)も朝5時過ぎには起きた。5時46分、神戸からのテレビ映像に合わせて黙祷をする。「1月17日午前5 時46分」、そして昨年の「3月11日午後2時46分」。奇しくも同じ「46分」ではないか。そんな感慨にふけりながら、未明に届いた新聞を開く。
ん? 前にも経験した違和感がよみがえる。3・11の直後以来かもしれない。NHKは「阪神・淡路大震災」で通している。が、新聞は「阪神大震災」だ。全国紙の朝日も、共同通信のニュース配信を受ける地方紙の福島民報も。
なぜ「淡路」を省略するのか。「阪神大震災」では淡路島に被害がなかったことになってしまう。それで、政府は「阪神・淡路大震災」としたはずではないか。
インターネットでそのへんのことを探ってみる。気象庁は地震名として「兵庫県南部地震」と名づけた。政府は災害名として「阪神・淡路大震災」という呼称を決めた。明石市は、阪神でも淡路でもないから「兵庫県南部地震」を使用している、ということも知った。明石市のHPを開いたら、そうだった。
では、マスメディアは? 全国紙は押しなべて「阪神大震災」だ。地方紙は共同配信だから推して知るべし。こうなったら、神戸新聞の呼称に従おう。HPをのぞくと、ちゃんと「阪神・淡路大震災」でやっている。神戸新聞も、明石市も被災地の新聞であり、自治体だ。その判断を大事にしたい。
「阪神大震災」を使うマスメディアは、簡単にいえば本社機能が被災現場から遠いことを反映している。その遠さは、東日本大震災(=写真=)でも顕著になってきた。
被災者に寄り添うといいながらも、言論は空中を行き交い、「地上戦」も縮小する――被災地がだんだんしぼんで消えつつある紙面展開になってきた。全国紙では毎日の<希望新聞>だけだ、被災者と実質的につながっている、と感じられるのは。
変な「メディア考」になってしまったが、これはマスメディアへの期待の反映でもある。膨大なカネと人間を投入してニュースを取りに行っているのは、マスメディア以外にないのだ。ああ、つまらない――ではなく、いいぞ、いいぞ、と拍手をおくりたくなるような記事を読みたいものだ。
(タカじい)
タカじい
「出身は阿武隈高地、入身はいわき市」と思い定めているジャーナリスト。 ケツメイシの「ドライブ」と焼酎の「田苑」を愛し、江戸時代後期の俳諧研究と地ネギ(三春ネギ)のルーツ調べが趣味の団塊男です。週末には夏井川渓谷で家庭菜園と山菜・キノコ採りを楽しんでいます。
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