10年、20年の期間に限れば「代替」は無理
――「脱原発」の意見は無責任だ、というわけではないのですか。
田原 「遠い将来に」という意味ならそういう意見はあって良いのです。ただし、「脱原発」を現実的に議論する際に2つ問題があります。
ひとつは、「脱原発」をするなら代替をどうするかという問題です。
仮に原発をゼロにするならば、その分の電力をどう代替するかをきちんと示す必要があります。自然エネルギーの開発を進めればいい、という人がいますが、10年、20年の期間に限れば「代替」は現実的な話ではありません。
かつてはそういう希望がもたれた時期もありました。しかし、今では自然エネルギーにそんな大きな期待は持てないとエネルギーの専門家らは指摘しています。省エネをするにしても限界があります。
当面は、石油など化石燃料の割合を増やすなどして乗り切るしかないでしょうが、化石燃料の場合、際限なく増やせるわけではありません。二酸化炭素の排出削減を完全に頓挫させていいのか、という視点も出てきます。
――ふたつ目の問題点は何ですか。
田原 仮に日本が近々、「脱原発」を実施したとしても、今ある原発の使用済み核燃料をどうするのか、という問題は残り、「一件落着」とはなりません。中間処理も最終処理も解決できていないし、これは世界中の課題でもあるわけです。
日本は、こうした世界的な課題解決に貢献しなくていいのでしょうか。日本だけが近い将来に「脱原発」をしたところで問題は消えません。他人事ではないのです。
<田原総一朗さん プロフィール>
たはら そういちろう 1934年生まれ。早稲田大学文学部卒業。岩波映画製作所、テレビ東京を経て、77年からフリーに。「朝まで生テレビ!」(テレビ朝日系)などでテレビジャーナリズムの新しい可能性を切り開いたと評されている。98年、「放送批評懇談会35周年記念 城戸又一賞」を受賞。現在、早稲田大学特命教授で、同大学の「大隈塾」塾頭も務める。「激論!クロスファイア」(BS朝日)に出演中。
著書に「日本の戦争」(小学館)、「日本政治の正体」(朝日新聞出版)など多数。近著に「田原式つい本音を言わせてしまう技術」(幻冬舎)、「なぜ日本は『大東亜戦争』を戦ったのか」(PHP研究所)、「Twitterの神々」(講談社)、「誰も書かなかった日本の戦争」(ポプラ社)などがある。