旧日本軍によるハワイの真珠湾攻撃から70年経った今も、「日米開戦は米国の陰謀」論をめぐる見解対立が続いている。
真珠湾攻撃があったのは12月8日だ。2011年の同日付朝刊の朝日新聞と産経新聞とでは、対照的な見解が示された。一方、東京新聞は「陰謀論に一石」を投じる「新史料発見」を報じた。
朝日インタビューで加藤教授「(陰謀論は)それは違います」
朝日新聞のオピニオン面には、東京大学の加藤陽子教授(日本近代史)の大型インタビュー記事が載った。
「米国が日本を挑発し、開戦に追い込んだ」との主張を「歴史修正主義者といわれる人たち」がしている、と記者が指摘したことを受け、加藤教授は、
「それは違います」と、「陰謀論」を言下に否定した。さらに、戦争回避の可能性について、日本当局者は「1~3割」と厳しく捉え、一方で米国は8割方は戦争を避けられるとみていた、との指摘を続けた。
加藤教授はほかの質問への回答でも、日本が「対米戦に備え財政的にも準備を進めていた」ことや、「(開戦前交渉当時の)外務省亜米利加局の課長らがむしろ強硬で、『交渉は屈服だ』と考えた」ことなどが新史料から明らかになった、と説明している。
「取材後記」部分では、担当記者が「真珠湾攻撃は米国の謀略」説が、ネットにあふれていると指摘し、「だが歴史家の話は逆だ」と断じ、「単純化の誘惑を退け」る必要性にも触れている。
加藤教授は『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』 (朝日出版社)で、2010年の第9回小林秀雄賞を受賞した昭和史研究の権威だけに、このインタビューを通して、朝日としてのスタンスを示した形になっている。
産経は「米大統領経験者が『陰謀説』に言及」
一方、米国謀略説について「日米の研究者の間で浮かんでは消えてきた」としつつ、「米大統領経験者が『陰謀説』に言及していたことが判明したのは初めて」と報じたのは、産経新聞だ。
米国の歴史家、ジョージ・ナッシュ氏が11月に出版した「FREEDOM BETRAYED(裏切られた自由)」の内容を紹介する形で報じている。
真珠湾攻撃の際に米大統領だったフランクリン・ルーズベルト氏(民主党)について、直前の大統領だったハーバート・フーバー氏(共和党)が、「対ドイツ参戦の口実として、日本を対米戦争に追い込む陰謀を図った『狂気の男』と批判していたことが分かった」と産経記事は指摘している。
同著書は、これまで非公開だったフーバー元大統領のメモなどを基にしているという。「狂気の男」発言は、戦後の1946年、フーバー元大統領が訪日し、連合国軍総司令部(GHQ)のマッカーサー元帥と会談した際のものだ。
同じ会談では、1941年7月の対日経済制裁について、フーバー元大統領は「対独戦に参戦するため、日本を破滅的な戦争に引きずり込もうとしたものだ」とも語ったという。
ネットでは「(陰謀説は)常識」「日本が仕掛けた」
また別の産経記事では、1948年に米国で発刊された、チャールズ・A・ビーアド元コロンビア大教授の「ルーズベルトの責任――日米戦争はなぜ始まったか」の全訳刊行が近く日本で始まることを紹介。
同書について「いわゆる『ルーズベルト陰謀説』が終戦直後に、米側公文書などによって裏づけられていた意味は大きい」と評している。陰謀説は「裏づけられていた」こと、というわけだ。
また、東京新聞は「大統領謀略論に一石」などの見だしで、戦史研究家の原勝洋氏の「新説」を紹介した。原氏が米国立公文書館で、真珠湾攻撃前の段階で米側が旧日本海軍の作戦指示暗号を「解読した」と明記した米軍報告書を見つけたことを伝えている。
「解読時期」の「定説」はもっと遅く、「1942年6月のミッドウェー海戦前」。ちなみに外務省外交暗号は、開戦前から米側が解読に成功していたとされている。
東京新聞記事では、新説と陰謀論を直接的には結びつけていないが、ルーズベルト謀略論について「決定的な証拠がなく、論争が続いている」と触れている。
産経や東京新聞の記事はネットの2ちゃんねるで取り上げられ、「アメリカの陰謀だったことが確定」などと紹介された。
「そんなこと知ってた」「常識」と、「米国陰謀論は事実」と考えているとみられる書き込みが多く並ぶ一方、「(暗号)解読してたから何なんだ?結局、日本から仕掛けたんだろ」「陰謀だろうが(略)乗せられた方が馬鹿」といった指摘もあった。開戦から70年たってもなお論争が続いている。