オフレコ記者懇談の「失言」を報じられ更迭された田中聡・沖縄防衛局長は、本当に報道の通り、「犯す」という表現を使ったのだろうか――インターネット上でそんな素朴な疑問も上がっている。
田中氏本人が「記憶はない」と否定していることに加え、「記者懇談」での発言の割には、「本社の記者はその場にいなかった」とする間接情報報道が意外に多いことが影響しているようだ。もっとも、発言の趣旨については田中氏への同情論は極端に少なく、批判的な声が圧倒的だ。
夕刊見だしで「犯す前に言いますか」
田中氏の発言とされる「犯す前に言いますか」の文字が、朝日新聞と毎日新聞の2011年11月29日付の夕刊1面(東京最終版)に踊った。
沖縄の地元紙、琉球新報が、28日夜の「完全オフレコ記者懇談会」で、田中氏が米軍普天間飛行場の移設問題に関連して「これから犯しますよと言いますか」と発言した、との報道を「追いかけた」内容だ。
ただ、両新聞の30日付朝刊記事によると、朝日は「(懇談での)発言時には同席していなかった」、毎日は「参加していなかった」。
また、朝日1面記事は、琉球新報報道を引用する形で田中氏発言に触れ、毎日1面記事は、「防衛省関係者によると」として、田中氏が「『犯す前に犯しますよと言いますか』と発言したという」と指摘している。
沖縄タイムスも同様の「追いかけ記事」を書いているが、「発言時、本紙記者は離れたところにいて発言内容を確認できなかった」そうだ。「(懇談翌日の)29日に複数の出席者に取材し、確認した」としている。
琉球新報報道などによると、28日の懇談会へ出席したのは、報道9社9人の記者と、防衛局から田中局長と報道室長の2人のため、沖縄タイムスは他社の記者から話を聞いた、と読める。
勿論、記者たちが普段報じている「誰かの発言」は、伝聞情報のことも多く、「普段の取材・報道と変わらない」という指摘もある。
「『犯す』というような言葉を使った記憶はない」
しかし今回は、居酒屋で開かれた「記者懇談会」での発言ということで、「発言を確認した取材先は他社の記者」という状況に違和感を持つ人もいるようだ。また、「飲酒」や「周囲の雑音」による影響を想定してか、報道されている田中氏発言の内容の正確さに疑問の声もある。
「(発言は女性に対するものだと)勝手に(記者が発言の)行間を足すことに違和感」(ツイッター)
といった指摘だ。
田中氏はどう弁明しているのか。防衛省が公表した内容によると、評価書をいつ提出するのか、に関する話題の際、
「私から、『やる』前に『やる』とか、いつ頃『やる』とかということは言えない」
「(略)乱暴にすれば、男女関係で言えば、犯罪になりますから」
という趣旨の発言をした記憶があるとしている。さらに、
「少なくとも、『犯す』というような言葉を使った記憶はない」
とも主張している。もっとも、「今にして思えば、そのように解釈されかねない状況・雰囲気だったと思う」として、「お詫び申し上げたい」と謝罪している。
弁明を信じるならば、「やる」という表現が、「提出をやる(する)」という意味ではなく、性行為を連想させる言葉でもあることから「犯す」報道につながった可能性も感じさせる。
最初に報じた琉球新報に「出入り禁止通告」
では、懇談会で田中氏発言を聞いていたが、「オフレコ縛り」を重んじ、琉球新報報道以降に報道した社は、発言をどう伝えているのか。
時事通信は、「(女性を)犯すときに、『これから犯しますよ』と言うか」
「(読売)記者が参加した」とだけ触れている読売新聞(30日付朝刊)は、「犯す前に(これから)『やらせろ』とは言わないでしょ」
時事と読売とでは、趣旨は似通っているが、表現はかなり違う印象も受ける。
もっとも、最初に「オフレコ破り」で報じた琉球新報は自信満々だ。なにしろ、田中氏に評価書関連の質問をして、問題となった発言を引き出したのは同紙記者だからだ。
田中氏とどこかの社の記者が交わしている会話を遠巻きに聞いていたわけではない、というわけだ。30日記事で報告している。
ちなみに、発言を報じると沖縄防衛局に通告すると、「(公表すれば)琉球新報を出入り禁止することになる」と警告してきたという。
結局、田中氏が、朝日や毎日が見だしにもとったように「犯す前に言いますか」と発言したのか、「~という趣旨の発言をした」にとどまるのか、ははっきりしない。
ネットや各種報道をみると、「細かい言葉尻の違いは問題ではなく、そこににじみ出た認識が問題なのだ」との解説がある一方、「『犯す』と言ったのか、『犯すという趣旨の発言』はしたが『犯す』とは言っていないのか」で印象は大きく変わる、との声もある。
普段は「マスコミによる言葉狩り」に厳しい反応を示す傾向もあるインターネット上でも、今回は田中氏への同情論はあまり見受けられない。更迭を発表した一川保夫・防衛相が言ったように「弁解の余地はない」との見方が大勢だ。