ドラフト制度そのものが危ぶまれた「荒川事件」
1位指名を受けた野手で悲惨だったのは早大のスラッガー荒川堯(たかし)遊撃手。一本足打法の王貞治を育てた荒川博の野球養子として話題となり、中日で首位打者を獲得した谷沢健一と同期で東京六大学野球の花形だった。ハンサムでスターの雰囲気を持った期待の大型だった。69年に大洋ホエールズ(現横浜)から指名されたが拒否した後、トレードという形でヤクルト入り。
ところが、拒否などが問題になっていたころ、自宅近くで暴漢に襲われ、頭部に傷を負った。「荒川事件」である。それが原因で視神経に障害が出たといわれ、わずか5年、225試合に出場しただけで球界を去った。悲劇としかいいようがない事件だった。すんなりプロ入りしていれば、かなりの成績を残しただろう。
1位指名を受けて入団拒否した選手にはいいことが起きないというのが過去の例だ。菅野は大変な試練に挑むことになる。江川ほどの投手でも苦しんだ浪人生活。日本ハムは「諦めない」という。「この程度で諦めるのなら最初から指名しなかった」と球団幹部は交渉を続けるつもりだ。まだひと波乱あるかもしれない。(敬称略 スポーツジャーナリスト・菅谷 齊)