イスタンブールの空港でトルコ政府が式典
宮崎さんの遺体は現地時間11月12日夕方、トルコを離れた。出発前にはイスタンブールの空港で、トルコ政府による追悼式典が催された。ひつぎは日の丸に包まれ、政府関係者や現地の救助隊員が見送った。被災地のために活動した宮崎さんへ、最大限の敬意を示したものと考えられる。ひつぎは14日、大分市の実家に到着した。
日本とトルコは、地理的には遠く離れているが双方で「助け合い」の歴史を刻んできた。古くは1890年、紀伊半島沖で当時のオスマン帝国の軍艦が沈没した際、近隣住民が生存者を介抱して最終的には日本側がトルコに送り届けた「エルトゥールル号遭難事件」が挙げられる。これに対してトルコは、イラン・イラク戦争さなかの1985年、イランに取り残された日本人を脱出させるため撃墜の危機があるにもかかわらず航空機を派遣し、救出に成功した。
両国はまた「地震国」との共通点があり、一方が震災で大きな被害を出すともう一方が救助の手を差し伸べてきた。1999年8月、死者1万7000人以上を出したトルコ北西部地震では、日本政府がすぐに人命救助隊を派遣。外務省によると、95年の阪神淡路大震災で救援活動を経験した隊員も送っている。また震災復興として、236億円の緊急円借款供与と、約5億2800万円の緊急物資・無償援助を実施した。これに対してトルコも2011年3月11日の東日本大震災で、赤十字社に相当する赤新月社から援助隊約30人が来日し、被災地での救助活動にあたった。トルコ政府は、飲料水や毛布といった物資も提供している。