「独裁への異議」醸成され易いタイミング
時折涙を見せて会見した清武氏について、「報復などを含め、(渡辺氏の)独裁に対する恐怖心から出た涙だろう」として、「逆に、それだけの覚悟をして、『それでも言わなくては』というところまで追い込まれていたことになる」。
清武氏の今回の行動が「前例」となったことの意味は小さくない。渡辺氏の「独裁」などに疑問や不満を感じている社員らが、「上げるべき声を上げる」という行動を起こす敷居が低くなったからだ。
ここまで「独裁」問題が表沙汰にされた今、従来のような「締め付け人事」は難しくなった可能性がある。だとすれば「反乱」がやり易くなるかもしれず、逆に「締め付け」を強行すれば、従来以上の反発が出ることにもなりそうだ。
また、チュニジアやエジプト、リビアなどで起きた、民主化を求めて独裁政権を倒した「中東の春」も大西氏は連想する。こうした「革命」は、爆発した不満が、独裁への恐怖を上回った結果でもある。こうした流れを受け、
「言うべきことを言えない組織、独裁におびえる組織だとすれば、それに異議を唱えなくていいのか」
という空気が、いつになく醸成されやすいタイミングになっていると大西氏はみる。
また、渡辺氏が「清武会見」を事前に察知し、「つぶす」ことができなかった、という現実を前に、渡辺氏の影響力について「衰え」を感じた他球団関係者も多いはずだとも指摘した。
勿論、ネット上などでは「ナベツネ体制はまだまだ安泰」との見方も根強くある。