夫人に心中を迫っていた?
記事によると尾崎さんは生前、夫人に心中を迫ったことがある。尾崎さんが死亡する20日前の92年4月5日、尾崎さんが「俺と一緒に死んでくれぇ」などと夫人に迫ったが、長男のことを夫人が口にすると、尾崎さんは「その場にへたりこんだ」。
また加賀氏は、「他殺説」にもあらためて詳細に反論している。「他殺説」は、94年に浮上し、テレビのワイドショーなどを巻き込む騒ぎとなった。尾崎さん死去から2年後のことだ。
尾崎さんが死亡したのは92年4月25日。泥酔して全裸で民家庭先に横たわっているのを発見され、病院に運ばれたが同日中に亡くなった。ほどなく警察が発表した死因は、「極度の飲酒による肺水腫」。当時から覚醒剤の使用は指摘されていたが、死因とは結びつけられていなかった。
94年に尾崎さんの「死体検案書」コピーが流出して報じられた。尾崎さんの体にあった傷や「致死量の2.64倍の覚醒剤」などのキーワードを結びつけ、中には尾崎さんの遺族に殺人の疑いをかける夕刊紙や週刊誌の記事も出た。
関心の高まりを受け、警視庁に尾崎さんの死亡に関する再捜査を求める嘆願書が10万人超の署名を添えて提示される騒ぎにもなった。警察は解決済みだとして動きは見せなかった。
遺族に疑いをかけた「他殺説」記事については裁判になり、東京地裁は2000年2月、遺族への名誉毀損を認め、フリージャーナリストに500万円の支払いなどを命じる判決を下した。02年の上告棄却で遺族の勝訴が確定した。