ついにリビアのカダフィ大佐の死亡が確認された。大佐を最後まで警護していたとみられるのが、女性ばかりで構成する「カダフィ・ガール」だ。常にカダフィ氏に密着していただけに、政権の内情を多く知っているのは間違いない。政権末期には「カダフィ氏らに性的暴行を受けた」と証言するメンバーもおり、今後、「暴露合戦」が始まる可能性もある。
この部隊は、カダフィ氏が公職を辞任した上で「革命指導者」を名乗りだした直後の1980年代初期に結成されたとされる。女性ばかりで構成された背景には、(1)男性は注意散漫(2)アラブの男性は女性に対して発砲するのをためらう、といったことがあるようだ。
ハイヒール履き、宝石身につけ、マニキュアも
部隊のメンバーは、ハイヒールを履き、宝石を身につけ、マニキュアをしているなど、警備隊にしては派手な身なりで、「貞操を守り、リーダーを守るために命を捧げる」とされている。いわば、北朝鮮で言うところの「喜び組」が軍事訓練を受けたようなものだ。欧州メディアからは、「アマゾニアン・ガード」(Amazonian Guards)とも呼ばれており、最盛期には400人程度が所属していた模様だ。
部隊は、24時間体制でカダフィ氏を警護。カダフィ氏が外国を訪問する時は、テントやラクダを含む「大所帯」になることは有名だが、英BBCによると、2006年には武装した部隊のメンバー200人をナイジェリアに連れて行こうとして、ナイジェリア政府が武装解除を要求。外交問題に発展した。また、英大衆紙のデイリー・メールによると、07年12月にパリを訪問した際には、同行させる人数を30人にまで減らしたものの、それでも受け入れ先のフランス政府を驚かせたという。
また、総じて部隊の士気は高いようだ。1998年にカダフィ氏の車列がイスラム原理主義者に襲撃された時には、部隊のメンバーが身を挺してカダフィ氏を守ろうとした。カダフィ氏は軽傷で済んだが、部隊からは1人が死亡し、7人が負傷。特に死亡したメンバーはカダフィ氏の「お気に入り」だったということで、カダフィ氏は大きなショックを受けたという。
また、11年にカダフィ政権が事実上崩壊し、カダフィ氏がトリポリを脱出してからも、部隊メンバーのうち40人程度が警護していたとみられる。
ただし、政権末期には「ほころび」も出てきたようだ。南ヨーロッパのマルタで発行されている英字紙「サンデー・タイムス」が11年8月28日に報じたところによると、メンバーのうち5人が、カダフィ大佐らに次々に暴行を受けたという。
カダフィ、息子、政府高官の順に、次々に性的暴行
被害者から相談を受けたリビア東部、ベンガジの心理学者が同紙に明かしたもので、この被害者は、首都ベンガジのカダフィ氏の邸宅で、(1)カダフィ氏(2)カダフィ氏の息子(3)政府高官の順に、次々に性的暴行を受けたという。
同紙によると、この被害者の女性は大学を退学になり、「復学にはカダフィ氏の口利きが必要」などと言われ、カダフィ氏のところに連れていかれた結果、被害を受けたという。さらにその後、被害者の兄弟がマルタからリビアに帰国する際に麻薬密輸の容疑をかけられた。被害者女性は、
「部隊に入らなければ、兄弟は一生牢屋の中だ」
などと脅されたのだという。にわかには信じがたい話だが、仮に本当だとすれば、政権末期の部隊は、相当「喜び組」の色が強くなっていたことを示すエピソードだ。
また、部隊のメンバーかどうかは不明だが、ウィキリークスでは、09年9月29日付けの在リビア米大使館発の外交公電で、
「カダフィ氏は、色っぽい金髪のウクライナ人看護師をいつも同伴している」
とも暴露されている。