大王製紙の井川意高(もとたか)前会長(47)が複数の子会社から無担保で80億円以上を借り入れ、約55億円が返済されていない問題で、十数億円がラスベガスのホテルに開設された個人口座に振り込まれていたことが各紙の報道で明らかになった。
これまでにも、井川氏の「カジノ好き」はたびたび報じられており、その一端が明らかになった形だ。ただし、経営者としては真面目な仕事ぶりを評価する声も多い。
東大法学部卒の御曹司で仕事熱心
井川氏は大王製紙の創業者の孫にあたり、87年に東大法学部卒業後、大王製紙に入社。91年に常務、95年に専務に就任し、98年から副社長。07年6月に42歳の若さで社長に就任したものの、副社長の在任期間が9年間に及んだため、「助走期間は十分」だとされた。その後、井川氏は11年6月、上場以来初めての赤字転落の責任を取る形で社長を辞任し、会長に退いている。今回の事件が発覚し、9月16日には会長のポストも退いた。
9月16日の大王製紙の発表では、井川氏が連結子会社から84億円を借り入れていたことが明らかになっていたが、10月18日に各紙が報じたところによると、84億円以外にも、関連会社を迂回させる方法で22億円を借り入れていたことが、大王製紙の特別調査委員会の調べて明らかになっている。ラスベガスの個人口座にも十数億円が振り込まれていたことも明らかになっており、調査委員会では、借入金がカジノなどの遊興費にあてられたとみている。
「毎回1億5千万円つぎこんでいた」の証言も
井川氏側は、借入金をカジノにつぎ込んだことは否定しているが、井川氏の「カジノ好き」にまつわるエピソードは、すでに複数の週刊誌が報じている。各誌を総合すると、ラスベガスよりもマカオが「主戦場」だったようで、週刊文春の9月29日号では、マカオのカジノ関係者が
「3か月に約1回の割合で、毎回1億5000万円ほど持ち込んで、カジノにつぎ込んでいました」
「完全にバランス感覚を失っていて、周囲もいずれパンクするのではないかと思っていました」
と、08年頃の様子を証言しているほか、「週刊現代」10月8日号では、井川氏の「飲み仲間」と称する人物が
「マカオには週末に行くんです。金曜夜8時の便で成田を出て、香港経由でマカオに入り、日曜まで遊ぶ」
と、強行軍ぶりを明かしている。
カジノにまつわる「物証」もある。「フラッシュ」10月11日号には、
「大王製紙ボンボン会長がカジノで『愛人とドヤ顔』」
と題して、大量のチップを前に自慢げな表情を見せる井川氏の写真が掲載されている。
同誌によると、写真は都内のカジノバーで撮影されたとされる。
また、芸能人やベンチャー経営者との人脈も豊富だったようだ。例えばサイバーエージェントの藤田晋社長は、07年11月13日のブログでは、井川社長からプレゼントされたという大王製紙の主力商品「エリエール」のケータイストラップの写真を載せている。
「モラルの高い会社」を目指していた
一方の仕事ぶりについては、「謙虚で仕事熱心」との評も多い。前出の「カジノ遊び」を報じた週刊誌の多くが、「遅くまで飲んでいても、朝は定時に出社して業務をこなしていた」といったエピソードを紹介している。また、仁義を重んじる人物でもあったとようだ。
「財界」07年新年特大号に掲載された副社長時代のインタビューでは、父親で最高顧問の井川高雄氏について、
「印象に残っている言葉は『ビジネスの世界で奇麗事を言っても、最後は人間の好き嫌いであったり、俺が30度頭を下げたのに、お前は20度しか下げなかったとか、そういうものが案外残るんだぞ』ということですね」
と振り返っている。また、06年に業界トップの王子製紙が業界5位の北越製紙に敵対的株式公開買い付け(TOB)を仕掛けたことに反発。TOBは失敗に終わったものの、日本製紙連合会の鈴木章一郎会長(王子製紙会長)に辞任を要求したこともある。その理由を、前出のインタビューでは
「町一番の大地主さんが、町内会長をなさっている。ところがそんなに広くはないが駅前のとても良い立地のビルを欲しくなって同じ町内会の持ち主さんに売ってくれと言われたが断られた。ならばと、不動産屋と組んで強引に地上げをしかけて失敗した。それでも『町内会長は続ける』というような話じゃないですか?」
と説明している。
社長就任直後の「経済界」07年8月21日号では、
「末端に至るまで、本当の意味でモラルの高い会社にしていかなければならない。言われたことをしていれば間違いない、悪く言えば言われたことをしていればいいんだという風潮がある」
とモラルを重んじる発言もしている。
なお、今回の事件をめぐっては、東京地検特捜部が大王製紙から任意で資料の提出を受け、会社法違反(特別背任)容疑で捜査を進めている。