「気持ちが沈んだときに話す相手がいない」懸念される仮設住居での孤立
8月5日、中通りにある矢吹町の一本木仮設住宅の90世帯の方々に物資をお届けしました。
富岡町にお住まいだった杉本キミ子さんは、地震後、自宅近くの体育館に避難していましたが、原発事故の状況が明らかになり、バスで郡山市内の避難所「ビッグパレットふくしま」に移動されました。そのとき、手元にあるのは毛布だけだったそうです。現在は、矢吹町の仮設住宅にご主人とお二人で暮らしておられます。
自宅へ一時帰宅をした際には、線量計が室内で5マイクロシーベルトを示し、外に出ると10マイクロシーベルトになったため、怖くなり、40分程の滞在で家財道具も充分に持ち出せずに退避されたそうです。「仮設住宅で必要なものはないですか?」との質問には、「着の身着のまま逃げてきて、15日間も充分な食事を取れない状態が続いたから物欲がなくなっちゃった」とのお返事。「それよりも、ここ(仮設住宅)では喋りたいときや、気持ちが沈んだときに富岡町の知り合いがいない。」「富岡にはもう……戻れないですよね。」
この一本木仮設住宅には、地元の方だけではなく、福島県内の様々な地域から入居者が来ています。それまでの地域の繋がりが失われてしまい、入居者が孤立しがちなことが気になります。