台湾へ泳いで行くぞ黒潮越えて 若者6人、義援金の感謝伝える

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   「台湾まで、泳いで渡ろうと考えているのですが」――日台スポーツ・文化推進協会理事長を務める松本彧彦さんに相談が舞い込んだのは、震災から間もない2011年3月18日のことだった。相談の主は、鈴木一也さんという面識のない青年。震災後、多額の義援金を寄せるなど日本に「友情」を示してくれた台湾に「感謝」を伝えたいのだという。

   それから半年。鈴木さんら、趣旨に共感した20~30代の青年6人が、福島・宮城・岩手3県の知事からの手紙をリレーして沖縄・与那国島から台湾まで、150キロの泳断に挑戦することになった。出発は9月17日の予定だ。

40~50時間かけ、リレーで被災地の手紙運ぶ

13日、都内で記者会見を行う「日台黒潮泳断チャレンジ」の参加者。漆原真史さん撮影
13日、都内で記者会見を行う「日台黒潮泳断チャレンジ」の参加者。漆原真史さん撮影

   6人のスイマーたちは17日朝、医師やスタッフが乗った船2隻とともに与那国島を出発。黒潮に乗るため海流に逆らって一旦南下し、そこからV字に折れ、台湾・蘇澳(すおう)の海岸を目指す。およそ40~50時間かかる見込みで、19日朝の到着を目標とする。

   計画を思い立った鈴木さんは競泳選手、またライフセーバーとしての活動経験を持ち、現在では会社勤めの傍ら遠泳やカヌー競技などに参加、2009年には伊豆大島から茅ヶ崎までの70キロを泳ぎきったこともある。

   台湾からは今回の震災で、200億円を超える義援金が寄せられている。「台湾まで泳ぐことで、日本人からの感謝の気持ちを伝えられれば」という鈴木さんの気持ちを聞いた松本さんは自ら実行委員長となり、「日台黒潮泳断チャレンジ2011」を立ち上げた。

   呼びかけに応えて集まった泳者には福島県相馬市出身の大学生もおり、「被災した仲間の分までがんばりたい」と語る。また実際に泳ぐメンバー以外にもサポートを申し出る人も現れ、王貞治監督など各界からの応援メッセージも寄せられている。

   集まったメンバーはしかし、ほとんどが「素人」だ。仕事の合間を縫いながらミーティングとトレーニングを重ね、計画実現に向けて準備を進めてきた。泳者や同伴する船の準備が整ったのは8月に入ってから。ようやく実現の目処が立ったと判断し、9月13日には記者会見を開いた。

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