権力の「ダークサイド」に墜ちた辻元氏 社民・福島党首が民主入り批判

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「『反権力』があなたの持ち味、主張だったのでは」

   秘書給与問題で議員辞職した後、2003年に逮捕された辻元氏は05年8月中旬、社民党公認候補として出馬会見を開いた。「悲鳴みたいな声をきちんと国政に届けたい」と語りながら辻元氏が笑顔を横にみせた先には福島党首が座っていた。

   秘書給与に絡む詐欺罪の有罪が確定した辻元氏の復帰には慎重論もあったが、福島党首が辻元氏に「一緒に選挙をやろう」と呼びかけたのだ。辻元氏の秘書給与問題が浮上した02年には、当時幹事長だった福島氏ら執行部は「一丸となってバックアップ」すると擁護する姿勢を鮮明にした。

   03年に辻元氏が逮捕された後も、福島氏は「逮捕の必要性に疑問を持っている」とかばっていた。

   辻元氏の民主入りをめぐる福島党首との対立について、関西の社民党関係者はどう受け止めているのか。

   同党公認のあるベテラン男性市議(8期)は「(福島党首の)仰る通り」と話した。辻元氏に対し、「『反権力』があなたの持ち味、主張だったのではないんですか」といい、やはり納得いかない様子だ。社民党公認候補として当選しながら、任期途中で党を移ることは「背信行為だ」と考えている。「残念というか、腹立たしいというか……」と苛立ちをみせた。

   民間国際交流団体「ピースボート」設立メンバー、辻元氏の衆院初当選は1996年で、弁護士の福島氏の参院初当選は98年。ともに「土井チルドレン」と呼ばれた。

   秘書給与問題で辻元氏は2002年に議員辞職した。04年に無所属で参院選に立候補したが落選。05年に社民候補として衆院比例区で復活当選した。09年の衆院選では、社民候補として大阪10区で自民候補を下して4選を果たした。民主党は選挙協力で候補擁立を見送っていた。社民党の国会議員は現在、衆参合わせ10人だ。

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