東電社長が一時は「全面撤退」申し入れ 枝野氏「今だから明かす」混乱の内幕

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   東京電力福島第1原子力発電所の事故をめぐる、首相官邸の初期対応の具体的な内容が明らかになりつつある。菅直人前首相や枝野幸男前官房長官が、辞任後に相次いで報道各社のインタビューに応じ、東京電力の清水正孝社長(当時)が作業員の全面撤退を申し出ていたことを明らかにした。

   菅首相が清水社長を官邸に呼んで問い詰めたものの、清水氏はあいまいな返答に終始。菅氏が業を煮やして東京・内幸町の東電本店に乗り込み、政府と東電の対策統合本部を立ちあげることになったというのだ。

菅前首相「私は『何が撤退だ』と思いました」

2011年4月13日の会見で頭を下げる東京電力・清水正孝前社長
2011年4月13日の会見で頭を下げる東京電力・清水正孝前社長

   東日本大震災直後の2011年3月15日、菅氏は午前4時過ぎに清水氏を官邸に呼び、5時半過ぎには東京・内幸町の東電本店に乗り込み、「撤退なんてあり得ない!」などと怒鳴ったとされる。これが「現場の士気を削いだ」との批判もあびた。この内幕が、少しずつ明らかになりつつある。

   菅氏は、首相辞任前、「週刊朝日」8月19日号の単独インタビューで、

「その日の未明に、私のもとに『東電が原発事故の現場から撤退したいと言っている』という報告が来ました。私は『何が撤退だ』と思いました」
「そして、いますぐ政府と情報を一元化する部署を東電に作らなければならないと判断して、本社に乗り込み、『撤退なんかあり得ない!』と語気を強めて言ったんです。周りに200人ぐらいはいたでしょうか」

といらだちを表明。首相辞任後の9月5日には、朝日新聞や中日新聞のインタビューで、(1)3月15日午前3時頃、海江田万里経済産業相(当時)から、東電が撤退の意向を示していることを伝えられたこと(2)清水氏を官邸に呼んで話を聞いたが、撤退するのかしないのかはっきりしなかったこと、などを明かした。

吉田所長は「まだ頑張れる」

   さらに、9月7日に読売新聞が枝野幸男前官房長官に行ったインタビューによると、当初、清水氏は海江田氏に撤退を申し出たが、海江田氏は拒否。枝野氏に電話をしてきたという。枝野氏が関係機関にコンタクトしたところ、福島第1原発の吉田昌郎所長は「まだ頑張れる」と、撤退する必要はないとの見解を示したという。

   東電トップと現場責任者の見解が食い違っていた形で、これが、清水氏が官邸で菅氏に対してあいまいな受け答えしかできなかった背景にあるとみられる。

   菅氏も、前出の週刊朝日のインタビューで

「中の情報をいちばん持っているはずの東電も、現場から私に伝わるまで伝言ゲームのように人が介在し、結局誰が判断しているのか、誰が責任者なのか、聞いてもわからない。すべてが匿名性の中で行われていました。吉田(昌郎)所長と会って、『やっと匿名で語らない人間と話ができた』という思いでした」

と、「伝言ゲーム」ぶりを振り返っている。

   なお、清水氏は、4月13日の会見で、

「直接作業に関わらない人間とか、そういう人たちは退避するという判断は当然あったが、全員が退避するという判断は持ち合わせていない」

と、全面撤退の申し出を否定している。また、清水氏は菅首相が東電に乗り込んだ翌日の3月16日から数日間、体調を崩して対策本部を離れているが、

「菅首相が(3月15日早朝に)東電本社に乗り込んだことは体調に影響はあったのか」

との質問には

「影響ありません」

と、否定している。

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