震災当日に「メルトダウン」予測 なぜこれが避難に活用されなかったのか

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   経済産業省原子力安全・保安院は、福島第1原発の事故直後に作成した1~3号機の事故解析資料を公開した。

   資料によると、2011年3月11~13日の段階で保安院や東電がメルトダウンを予測していたが、一部の資料だけが官邸に送られ、住民の避難誘導などに活用されることもなかった、という信じがたいお粗末さが露呈した形だ。

資料は官邸に「機械的に」送られた

   保安院は事故発生後、原子力安全基盤機構(JNES)に「緊急時対策支援システム(ERSS)」を使った解析を依頼。返された解析結果を基に、燃料溶融など事故進展予測の資料を作成していた。

   2号機の資料は、事故当日の3月11日22時に作成された。2号機は地震発生から10時間後の12日0時50分に燃料が溶融し、3時20分には原子炉格納容器ベントによって放射性物質が放出されると予測されている。

   3号機の資料は13日の6時30分に作成され、8時~8時15分に燃料が溶け始めると予測している。「東電の解析では燃料溶融は7時30分ごろ」とも書かれている。

   2号機の資料は11日22時44分に、3号機は13日6時50に官邸の危機管理センターに送られた。しかし、機械的に送られただけで詳しい説明は行われず、結局事故対応には活用されなかった。

   1号機の資料は、官邸へ送付すらされていない。JNESの解析結果は12日1時57分に保安院に送られ、その後SPEEDI(放射能影響予測システム)による放射性物質の拡散予測に用いられた。12日6時にはこの結果が出たが、これも官邸に伝えていなかった。

保安院「なぜ活用しなかったかわかりません」

   福島原発が事故直後にメルトダウンしていたことは専門家らが早い段階で指摘している。原子力安全委員会の班目春樹委員長は5月の会見で、3月下旬の段階でメルトダウンを判断していたと明かしている。

   地震翌日の3月12日、当時の広報担当だった中村幸一郎審議官がメルトダウンの可能性を認める発言をした直後に交代した。以降、保安院はメルトダウンについて否定的な見方を示しており、東電がメルトダウンを認めたのは事故発生から2か月以上たってから。保安院はさらに約4か月してようやく、「当日に予測はしていましたが、活用できませんでした」と明かしたことになる。

   保安院の森山善範対策監は、資料を公表した9月2日の会見で、官邸に資料を送っておきながら、データを活用しなかったことについて、「ちぐはぐなんですけど、よくわかりません」と語った。

   官邸に送ったERSSの解析結果は、「あくまでも過去の例をもとに作ったもので、『現状はよくわからないけれども、こういう評価をしました』というかたちで送ったもの」とし、SPEEDIのデータについては、「あくまで参考として持っており、活用まで思い至らなかった」と説明した。

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