一頃あれほど政界をにぎわせた「脱小沢」の「だ」の字も聞こえない――ポスト菅を決める民主党代表選を直前に控え、有力候補予定者らの「小沢詣で」が続いている。脱小沢路線の強硬派だったはずの前原誠司・前外相までが小沢氏のもとへ支援要請に訪れた。
「20年前に見た光景だ。『数』を頼むようなことがあってはならない、と誕生したのが民主党ではなかったか」。民主党の代表選候補らが相次いで「小沢詣で」をしていることについて、自民党の石破茂・政調会長がこう皮肉を飛ばしたのは2011年8月20日のことだ。
20年前の「候補面接」
20日までに馬淵澄夫・前国土交通相や海江田万里・経産相、小沢鋭仁・元環境相が小沢一郎・元民主党代表と会談し、支援要請をしていた。
石破氏の脳裏には、小沢氏が当時自民党最大派閥の竹下派の会長代行だった1991年、総裁選にあたって候補者の宮沢喜一、渡辺美智雄、三塚博の3氏を事務所に呼びつけて「面接」した事例があったようだ。
もっとも、何もこの1991年の例に限らず、自民党時代は「密室政治」や「数合わせの政治」が続き、野党はことあるごとに批判してきた。石破氏の苦言は、「民主党は批判していたけど、結局自民党時代と同じことをやっているじゃないか」という少なからぬ国民の不満を代弁した形だ。
前原前外相が小沢元代表と会談し支援要請をしたのは、石破氏が苦言を呈した後の2011年8月24日だ。例えば日刊スポーツは「前原さんあなたもか…最後は『小沢詣で』」と報じた。
その前原氏は、24日の会談で小沢氏に「挙党一致で」と支援を呼びかけた。前原氏は会談後、政策の考えは2人の間で「あまり違いはなかった」とも話した。前原氏が言う「挙党一致」の意味合いを巡っては、小沢氏の処分問題見直しや小沢氏側近らの人事面での優遇を含むのかどうか、と様々な憶測が駆け巡っている。ただ、前原氏は少なくとも「脱小沢」の旗を正面切って掲げるのはやめたようだ。