(23日大槌発=ゆいっこ花巻;増子義久)
すぐ裏手には山が迫り、周囲には田んぼが広がる―。倉沢トメさん(91)が大槌川上流の「第9仮設住宅」に入居したのは7月15日。市街地から車で約15分。62戸のうち4分の1ほどが独居用で、ほとんどがお年寄りの一人住まいだ。
「私が最初の入居で、1週間ほどはたった一人だった。入居前、あの辺りはクマが出るぞと脅かされた。まさかと思ったが、周囲に侵入防止の柵が設置されているのを見て、腰が抜けそうになった」。どこで聞きつけたのか、東京のテレビ局が取材にやってきた。その時はまだ救援物資が届いていなかったため、冷蔵庫は空っぽ。そんな悲惨な姿が電波に乗って、全国に流れた。
「ばあちゃん、大丈夫か。車を出すから心配しないで…」―。ほとんど縁遠かった親戚の青年がテレビを見て連絡してきた。倉沢さんは秋田から嫁ぎ、夫と一人息子を海の事故で失った。地元に親類縁者が少ないため、病院通いや買い物をどうしようかと思い悩んでいた矢先だった。「テレビが取り持ってくれたお陰で助けられた」と倉沢さん。
それでも日々の生活は話し相手もなく、テレビの番兵みたいなダラダラした毎日だ。将来の希望も持てずに家の中にじっと閉じ籠(こも)ってばかりいる。そんな生活を続けていた8月中旬、幼なじみの岩崎キヨシさん(88)とばったり出会った。2軒隣りの同じ仮設に引っ越してきたのだった。
大震災の前、2人は道路を隔てて向かい同士だった。「入って良いかい」「なによ、あんたもう上り込んでいるじゃない」―。古くから互いに遠慮のない付き合いだった。一人暮らしだった2人とも津波で家を流されてしまい、倉沢さんは花巻市の温泉施設に、岩崎さんは名古屋市に住む長女の自宅に身を寄せた。
「長女も勤めているため、日中は大都会のマンションに一人。すると、今回の大震災で死んでいった人たちの顔が浮かんでくるの。あの人もこの人も…と両手を使って指折り数える毎日。知っている人だけで100人以上にもなった。こんな生活が約5ヶ月。もう頭がどうかなりそうになった。で、故郷に戻ろうと仮設を申し込んだの。そうしたらクラさんと再会したというわけ」。岩崎さんはこう言って「マンション地獄に比べたら、クマの恐怖なんてへっちゃらだよ」と顔をほころばせた。
国立公園「陸中海岸」のほぼ中央に位置する大槌町はリアス式海岸の景勝地として知られる。しかし、後背地には北上山系の深い山並みが連なり、ツツジの名所でもある「新山高原」には風力発電用の16基の風車が林立している。釜石市と大槌・遠野両町の1市2町にまたがる「釜石広域ウインドファーム」は国内最大級(約3万世帯分)の発電量を誇っている。また、「海の町」と同時にクマや鹿など狩猟のメッカとしての顔を持っていることは意外に知られていない。
今回の大震災で海岸部が壊滅したため、仮設住宅は山あいの狭隘(きょうあい)な土地を利用して建設され、その数は48カ所にのぼる。「私たちは偶然にも同じ仮設に住むことができたが、多くの年寄りたちが海から遠く離れた場所にバラバラになってしまった。他人同士が親兄弟以上の深いつながりがある漁師町では地域の崩壊が死に直結することだってある。私たちにとっても他人事ではない」。倉沢さんと岩崎さんは「仮設後」の先行きを心配した。
ゆいっこ
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