「菅首相への当てつけ」「自己満足」
もっとも、海江田氏に対しては同情論もある。辞任意向の表明後ほどなくして、原子力安全・保安院による原発関連シンポジウムでの「やらせ質問」問題が浮上したこともあり、「今辞任すると、代表選へ出たいがために逃げたと批判される」という状勢になった側面もある、というわけだ。
しかし、海江田氏が「責任を取る」形の辞任のタイミングを逃してしまったことには変わりがない。
「(菅首相から)正直はしごをはずされた思いがいたしました」などと恨み節を展開した文芸春秋の手記では、海江田氏は「私の出処進退は潔くありたい(中見出し)」という趣旨の話も書いている。
この「潔さ」は、菅氏が首相の地位に未練がましく居座ろうとしているように見えていた時期には成立した。
しかし、菅首相がはっきりと退陣への道筋を口にする今となっては、「退陣前の辞任」は単なる「菅首相への当てつけ」「自己満足」程度にしか見えない。「潔くない」のはむしろ海江田氏の方ではないか、という印象すら持つ人もいるかもしれない。
近く行われるであろう海江田経産相の辞任会見で、タイミングを逸し自身が思った通りの形での辞任にならなかったことを悔やんだ海江田氏が、また涙を流しはしないか――そんな突き放した、皮肉混じりの「心配」が永田町内でささやかれている。