かつて若者を中心に人気を集めた情報誌「ぴあ」(首都圏版)が最終号を発行し、休刊となった。部数の減少に歯止めがかからず、39年の歴史に幕を下ろした。
インターネット上には、同誌を愛読していた人から「昔はお世話になった」と懐かしむ声があふれる。ぴあはネットによる娯楽情報の提供を継続するが、シンボルだった雑誌「ぴあ」が消えることを惜しむ人は多い。
朝刊1面を使ったカラー広告でお別れ
「ぴあ」が創刊したのは1972年。主に若者を対象に映画やコンサート、演劇、スポーツといったイベント情報を提供するメディアとして、最盛期には50万部に達する人気雑誌となった。イラストレーターの及川正通氏が独特なタッチで描く著名人の似顔絵の表紙や、ページの端に読者からの短文投稿を掲載する企画など、単なる情報ツールとしてだけでない誌面づくりも読者を引きつけた。
だがインターネットの普及で、イベント情報を入手する手段が雑誌からネットへ移行が進み、情報誌は苦戦を強いられるようになる。ぴあも発行媒体を絞り込むなどして粘りをみせたが、2011年7月21日に最終号を発売、役割をネットに引き継ぎ雑誌としての使命を終える形で休刊となった。
その21日には、東京・新宿の紀伊国屋書店や有楽町にある三省堂書店などで最終号の店頭販売を実施。渋谷の書店では、及川氏の表紙イラスト原画展を開いた。一部新聞の朝刊には、1面を使って最終号のカラー広告を載せた。ツイッターには、以前ぴあを愛読していたと思われるユーザーから、
「学生の頃から色々とお世話になりました」
「若かりし頃は毎週買ってたなぁ」
「小さな文字を必死で追いかけていたあの頃を思い出しながら、最終号買いに行きます」
と休刊を悲しむ投稿が並んだ。だが「昔読んでいた」「懐かしい」という記述の多さは逆に、かつての読者はすでにぴあを「卒業」し、最近は雑誌から離れていた様子が想像できる。
休刊続くライバル誌、ネットに移行
ぴあでは休刊にあたってネット上に特別サイトを開設した。過去の表紙イラストの人気投票や、読者からのメッセージを公開している。
著名人も、動画でサイトにコメントを寄せた。脚本家の三谷幸喜さんは「ベルリンの壁が崩壊した時と同じくらいの衝撃を受けています」と独自の言い回しで心情を表した。過去には、ぴあの名物コーナーだった「1行投稿欄」に何度も投稿し、自身が考えた「面白ネタ」が掲載されたことを振り返っていた。ミュージシャンの布袋寅泰さんも、「とてもさびしい思いでいっぱいです」と話す。上京当時にイベント情報をぴあから得ていたエピソードを明かして、「青春の道しるべとなってくれた」と休刊を惜しんだ。
ここ数年、情報誌は全般的に厳しい状況にさらされていた。2010年には講談社の情報誌「TOKYO1週間」が休刊し、現在はウェブ版のみを運営している。角川グループパブリッシングの「東京ウォーカー」は健在だが、姉妹誌だった「千葉ウォーカー」や「神戸ウォーカー」は休刊した。ぴあの場合は中部版や関西版が2010年に休刊。首都圏版も週刊から隔週刊化にするなどしてしのいできたが、今回とうとう力尽きた格好だ。ぴあの主戦場は今後ネットに移るが、紙媒体からネットに乗り換えるライバルは少なくない。