次の一手、「深く感じる力」を身につけたい
「もう一度、改めて」という意味に比重をおいていえば、とくに生き方ということにおいて、人はこれまで生きてきたものを措(お)いては、新しいものを「発明」するなどということはけっしてできない。肝心なことは、これまでのものを見返しながら、それを今に見合ったものとしてどう賦活・再生しうるかということである。
将棋の羽生善治さんが、あるインタビューでこう言っていた。──長考するとき何を考えているかというと、こう指せばああ指してくるんだろう、といったような、これからのさまざまな可能性もむろん考えるが、むしろ初手から現在の局面までにいたるまでの過程をもう一度おさらいをしていることが多いんだ、と。つまり、どういう流れの中で今の局面ができてきたかということを確かめ直す、すると、そこからおのずとその次の手も出てくるというのである。倫理もまた、すぐれて歴史をたどり直すことにおいて考えられるべき問いである。
いずれにおいても、考えるということは、けっしてただ抽象的に理論・理屈をいじりまわすことではない。「考えるということは理屈をつけることではなく、深く感じるということである。深く感じる力を自分の中に育てられないと何も見えてこない」(詩人・長田弘)。
今こそ、ひとりひとりが、「深く感じる力」をもって考え、問うことが求められているように思う。
(倫理学者・竹内整一)