7月1日、ついにコンテナ村商店街がオープン!
難民を助ける会では住居や店舗などとして使える組み立て式のコンテナハウスを提供しています。これまで宮城県牡鹿郡女川町に、26棟を設置しました。
女川町の商店街はもともと海岸に近い場所に位置しており、津波で壊滅してしまいました。それ以来ずっと、この町の中で買い物ができる場所はコンビニと小さな商店の2軒だけ。そこで、女川町商工会青年部の方々の、「コンテナハウスを活用して商店街を復活させたい」という声にお応えし、6月7日・8日に女川町の鷲神浜に10棟のコンテナハウスを設置しました。そのうち8棟をお店として、2棟を住居として活用します。
7月1日、ついに新しい商店街がオープンしました。その名も「おながわコンテナ村商店街」。果物や野菜を扱う青果店、冷凍のお肉やお魚を売るお店、お花屋さん、お惣菜屋さん、電器屋さんなど、7店舗が入っています。これから毎日、朝9時から夕方6時まで営業です。
ここを笑顔の拠点に
およそ幅6メートル、奥ゆき2メートルほどのコンパクトなコンテナハウスを使って、中にびっしりと商品を並べているお店もあれば、お惣菜屋さんは中が調理スペース、販売は外に張った青いテントの下で行っています。どのお店も、朝早くからお買い物に訪れた近所の方々で賑わいました。
青果店でメロンを買っていた70代の女性は、近所の避難先から歩いていらしたと言います。「車が流されてしまって、これまではバスでスーパーまで行かなくてはならず、とても大変でした。すぐ近くに商店街ができて助かります。本当にありがとうございます」と、満面の笑みを見せてくださいました。
冷凍の肉や魚を販売するコンテナハウスの中は、買い物客でいっぱいです。「冷蔵庫がないので、お刺身やお豆腐などはなかなか食べられなかったんですよ。夕飯の前にまた買いに来るわ」とおっしゃるのは、近くで避難生活を送る2人暮らしの60代の女性。冷蔵庫だけでなく洗濯機もなく、仮設住宅にもまだ当たらないため、先行きの見えない日々がずっと続いているそうです。隣のコンテナから漂う揚げ物のいいにおいに、「あら、揚げ物もあるのね! お惣菜屋さんは便利だわ」と声をはずませて店の中をのぞきこむと、「○○さんじゃないの!」。懐かしい同級生の顔を見つけ、さらに笑顔が広がりました。
「この商店街が笑顔の拠点になれば」。商店街復興のために力を注いできた商工会青年部の阿部さんがそうおっしゃる通り、この場所から笑顔が次々と生まれていました。 この笑顔の拠点を必要としているところは、被災地にまだまだたくさんあります。消防署の仮庁舎として、福祉施設として、集会場として、コンテナハウスを必要とするたくさんの声が難民を助ける会に届いています。どうかひとつでも多くコンテナハウスをご提供できるよう、引き続き皆さまのご協力をよろしくお願いいたします。
(難民を助ける会 東京事務局 山田かおり)
※本プロジェクトの実施にあたっては、ゴールドマン・サックス証券株式会社およびゴールドマン・サックス・アセット・マネジメント株式会社より、30棟分に相当する約2,400万円のご寄付をいただきました。
今後も広く募金を呼びかけ、ひとりでも多くの被災者の方に少しでも快適で安全な空間で過ごしていただけるよう、支援を行ってまいります。ぜひご支援をお願いいたします。
【コンテナハウス・プロジェクト支援 専用口座】
■銀行
三井住友銀行 目黒支店 普通預金口座 7030268
特定非営利活動法人 難民を助ける会
■郵便局
00100-9-600
特定非営利活動法人 難民を助ける会
※「東日本大震災・仮設住宅」と明記下さい。
■インターネットからのご寄付はこちら(クレジットカード・コンビニ決済など利用可)
認定NPO法人 難民を助ける会
1979年、インドシナ難民を支援するために、政治・思想・宗教に偏らない市民団
体として日本で設立された国際NGOです。
2011年3月11日に発生した東日本大震災を受けて、地震発生当日より活動を開始。宮城県仙台市と岩手県盛岡市に事務所を構え、緊急・復興支援を行っています。
活動にあたっては、特に支援から取り残されがちな障害者や高齢者、在宅避難者、離島の住民などを重点的に支援しています。食料や家電などの物資の配布、炊き出し、医師と看護師による巡回診療など、多面的な活動を続けています。
■ホームページ http://www.aarjapan.gr.jp
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