山道を抜けた瞬間、頭の中が真っ白に
バスは2日目の朝までずっと山側の高速を走っていたので景色がなかなか変わらなかったが、南三陸町の山道を抜けた瞬間、私は鳥肌が立った。頭の中が真っ白になり軽く混乱した。「何もなかった」のではなく「確かにそこに何かがあったが何があったかわからない」街並みが延々と続いていた。我に返って何枚か写真を撮ったが、後から見ると放心状態で全然ピントが合っていなかった。
まず南三陸町の物資を統括しているベイサイドアリーナへ寄り、代表者に挨拶を済ませて志津川中学校に紙の物資を届けた後、歌津中学校へ向かった。歌津中学校は高台に建っており町が一望できた。漁業が盛んな歌津の町は海に囲まれる地形で、そのため津波の被害を大きく受けていた。学校に着くとすぐに衣類の物資の仕分けを始めたのだが、その膨大な量のために仕分けは1日では収まらず、教室いっぱいの段ボールを2日かけて仕分けした。使えないような衣服もあり、ゴミとして処分するものも多かったので、これでは支援ではなく逆に負担にもなり得るという教訓となった。お昼はたまたま炊き出しが余ったとのことだったので有り難く頂き、その間にも他のボランティアの方々や避難所の方とお話をした。