コンテナハウスの商店街が誕生!【宮城・女川発】

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   難民を助ける会では、国際ジャーナリストの菅原出氏を発起人として、組み立て式で設置の容易なコンテナハウスを被災地に送るプロジェクトを行っています。これまで宮城県牡鹿郡女川町に8棟を設置。続いて10棟を、6月7日・8日に設置しました。


   プロジェクトの発起人である菅原出氏から、6月7日・8日の設置の様子をご報告します。

新たに10棟のコンテナハウスを住居兼商店として設置

イタリア製のコンテナハウスは、鮮やかなブルーの床部と屋根で明るい雰囲気。お店として使うには最適です(2011年6月7日)
イタリア製のコンテナハウスは、鮮やかなブルーの床部と屋根で明るい雰囲気。お店として使うには最適です(2011年6月7日)

   宮城県女川町は、震災によって、3800の世帯のうち残った家がたった800世帯と、壊滅的な被害を受けました。女川湾の目の前に位置していた商店街の地区は津波の被害が最も大きく、すべて流されてしまいました。震災から3カ月が経過した今も、女川町で買物ができるのはコンビニエンスストアと小さな商店のたった2軒だけという状況です。

   その女川町の鷲神浜に、6月7日~8日、コンテナハウスを10棟設置しました。住居兼商店として活用し、商店街を復活させたいという女川町商工会青年部の方々の声にお応えしたものです。

   これまで同様、大崎八幡宮の小野目宮司をはじめとする神社のスタッフと、仙台のプレハブ会社である東北グレーダー株式会社のプロフェッショナルが組み立て作業を主導。またコンテナハウスの調達や輸送などの手配をしてこの活動を支えている小西美奈さんとご主人のニルス・ビルト氏もアメリカから一時帰国して参加してくれました。西木場工務店のスタッフたちは、今回も手作りのテーブルを届けに埼玉から駆けつけてくれ、女川町商工会青年部の方々などたくさんの方が設置にご協力くださいました。

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