(18日大槌発=ゆいっこ花巻支部;増子義久)
遺影を胸に抱いた人、両脇を子どもたちに支えられたお年寄り、車椅子の人…。東日本大震災から100日目の18日、大槌町の犠牲者合同慰霊祭が大槌中学校の校庭に張られた特設テント内でしめやかに営まれた。参列者は遺族や行方不明者の家族ら約2千人。周囲の山には地震と津波に追い打ちをかけた山火事の焼け跡が生々しい。この日は仏教で「卒哭忌(そっこくき)」と呼ばれ、泣くことをやめ、悲しみに区切りをつける日とされる。しかし、同町では未だ県内最多の827人が行方不明のまま。会場内は深い悲しみに包まれた。
午後1時50分、開式と同時に犠牲者779人のうち、17日までに死亡届が出された567人の名前と年齢が一人ずつ読み上げられた。2歳から97歳まで。圧倒的に高齢者が多い。ハンカチを目に当て、あちこちで嗚咽(おえつ)がもれる。最前列に母親と妻、それに一人娘が行方不明のままの白銀照男さん(62)、中央付近の席には妻を失った黒沢和雄さん(46)と小学3年生の陽世里(ひより)ちゃん親子の姿が。
午後2時46分―。地震が発生した時刻に合わせて、町内の防災無線から一斉にサイレンが鳴り響いた。全員が起立して黙とう。祭壇には赤と黄の菊の生花が。同町には昔、四国・小豆島(香川県)から開拓移住した人たちがいる。その縁でこの日、3千600本の菊がはるばる送られてきた。菅首相(代読)ら各界の弔辞の後、安渡小学校6年の佐々木晴也君と吉里吉里小学校6年の倉本万愛さんの2人が追悼の言葉を述べた。「多くの人たちが亡くなり、町が消えてしまいました。でも、私たちは決してあきらめません。新しい明日に向かって、頑張ろう、大槌」―。嗚咽が波紋のように会場内に広がっていった。
「最初はお別れしたくない。だから行かないと言っていた」と和雄さん。献花を終えた陽世里ちゃんが言った。「ママ、さようならって。ちゃんと手を合わせることができた」。3人との対面をまだ果たせないでいる白銀さんがぽつりとつぶやいた。「名前が呼ばれなかったことを喜んで良いものか。けじめがついたようでそうでないような。でもいつかは気持ちを整理しなければ…」。19日は一般参列者を迎えての「お別れ会」が同じ会場で営まれる。
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