“おふなたさま”は長女 無傷で残った定置網船【岩手・花巻発】

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証言【3.11東日本大震災】小石道夫さん(59)

(聞き手:ゆいっこ花巻支部 増子義久)


「12キロも体重が減ってしまった。でもまた海に戻りたい」と語る小石さん=花巻市台温泉の観光荘で
「12キロも体重が減ってしまった。でもまた海に戻りたい」と語る小石さん=花巻市台温泉の観光荘で

   "おふなたさま"に助けられたんだなあ…と本当にそんな気がするだよ。「御船魂様」と書く、つまり船の守り神のことだ。人工呼吸を施され、三途の川を渡る直前まで行って引き返してきたんだからなぁ。あとで聞いたら「会わせたい人に連絡してください」と医者に言われ、ベッドの周りはもうご臨終の雰囲気だったらしいよ。


   あの日は午後3時から漁協で会議が予定されていたんだが、どうしたことかどうも気が進まないんだ。母ちゃんに「そろそろ」と急かされた時にグラッときた。娘と母ちゃんを避難所に指定されている民家にいそがせ、わしは海岸に戻った。船首船頭会の会長をしている手前、定置網船のことが心配になってな。


   蓬莱島、そう「ひょっこりひょうたん島」が波をかぶったとたん、口をガバッと開いた大波が家々を飲み込みながら迫ってきた。まるでエリマキトカゲみたいだったな。DVDで見た「日本沈没」の光景さながら。丸太が吹っ飛んできたと思ったら、今度は19トンもある突きん棒船が新幹線みたいな速度で目の前を通り過ぎて行った。一晩中、家や車が渦に巻かれ、その上で助けを求めている人たちがいた。でも手を差し伸べることができない。奇跡的に助かった人もいるが、家や車ごと波に飲まれてしまった人も…。


   三日三晩、不眠不休で避難所の陣頭指揮をとった。この時の無理がたたったのか、疲れがどっと出た。母ちゃんの実家で10日間ほど休養したが、避難所の様子が気になって仕方がない。避難所生活に戻ってしばらくたった4月4日の夜、急に寒気がして便所で腰が立たなくなってしまった。で、次の日、搬送先の県立釜石病院からヘリコプタ-で盛岡の医大病院(岩手医大)に入院したっていうわけさ。


   敗血症と多臓器不全の診断。津波の後も毎日のように海岸へ行っていたから、その時にばい菌が体に入ったのではないかということだった。意識不明の状態が10日間続いたが、4月26日にやっと退院することができた。医者も「奇跡だ」というし、同じ病棟の看護婦さんに至っては真顔で「あれっ、小石さん、生きていたの?」。どうも病院内では「奇跡の生還」と話題になっていたみたいだな。


   一難去ってまた一難だ。家も流されて着のみ着のまま。長女が盛岡で働いていたので、そこのアパ-トに転がり込んだ。4畳半に夫婦と2人の娘。重なるようにして寝起きし、食事も立ったまま。また、病状が悪化するのではと不安になった。「ゆいっこさん」(花巻支部)のお陰でこの温泉旅館に一時避難できたのは5月20日になってから。今は徐々に体調も回復しつつある。


ほとんど無傷のまま、陸揚げされた「第25久美愛丸」。秋の定置網漁に向けてこれから修理・点検が進められる=大槌湾で
ほとんど無傷のまま、陸揚げされた「第25久美愛丸」。秋の定置網漁に向けてこれから修理・点検が進められる=大槌湾で

   そうそう、"おふなたさま"のことだったな。三陸の海では新造船が竣工した時、舳(へさき)の部分に3歳未満(生理前)の女の子の髪の毛を納めるのが習わしになっている。女性は船の守り神なんだよ。この時、木の箱には五穀(ごこく)とおすがた(人形=ひとがた)それにサイコロや5円玉も一緒に入れる。みんな縁起物だ。こうやって豊漁と安全を祈願するわけだ。


   大槌漁協所属の定置網船「第25久美愛丸」(16トン)は平成2年に完成した。以来、わしは船長兼大謀(漁労長)としてこの船を操ってきた。しかもな、この船の"おふなたさま"は長女の公加(きみか)=(24)=なんだよ。2歳ちょっとの時だったな。


   大槌町の海上祭は毎年、9月22~23日。神輿(みこし)を乗せた曳き船の海上渡御(とぎょ)は昔から女人禁制。でも、"おふなたさま"だけは別格だ。なにしろ、神様なんだから。公加も小学6年生ごろまでは着飾った姿で渡御に参加していた。


「おふなたさま」を納めた木箱。舳(へさき)の船内にがっちり固定されたままになっていた
「おふなたさま」を納めた木箱。舳(へさき)の船内にがっちり固定されたままになっていた

   その公加が「じいちゃんの船が見つかった」と携帯電話で知らせてきた。5月10日前後じゃなかったかな。大槌湾内の堤防に打ち上げられていたが、舳の部分が破損した程度で機関室などはほとんど無傷。神様を納めた木箱も無事だった。さすがは神様だ。


   しかもおまけがあるんだよ。家が流されすっかり諦めていたら、海上渡御の時に公加が身に付けていた衣装だけが瓦礫(がれき)中から見つかった。不思議なこともあるもんだよなぁ。神様に助けられたというのはそういう意味なんだよ。1年間、じっくり養生をしてまた「第25久美愛丸」の舵を握りたい。"公加神様"がそばについているから、豊漁と安全はもう請け合いだ。「捨てる神あれば拾う神あり」―だ。


(付記)

   内陸の温泉旅館などへの一時避難者の宿泊費用はすべて公費負担で賄われている。小石さんの場合、入院生活が長かったためにこの制度の存在自体を知る機会がなかった。こうした事情を説明したうえで「一時避難者」扱いをするよう県市などに要請したが、「対象者の応募は4月30日で締め切った」との一点張り。

   被災者への配慮の余りのなさに「これは明らかに人権侵害ではないのか。未曽有の大災害のさなか、あなた方は相変わらず保身に身をやつすつもりなのか」と強く抗議。その結果、しぶしぶ「一時避難者」として認められるという経緯があった。今回の大震災に際し、こうしたお役所的な対応は枚挙にいとまがない。被災者に寄り添う対応を促すため、その一例としてあえてここに記しておきたい。



ゆいっこは民間有志による復興支援組織です。被災住民を受け入れる内陸部の後方支援グループとして、救援物資やボランティアの受け入れ、身の回りのお世話、被災地との連絡調整、傾聴など精神面のケアなど行政を補完する役割を担っていきたいと考えています。
岩手県北上市に本部を置き、盛岡、花巻など内陸部の主要都市に順次、支部組織を設置する予定です。私たちはお互いの顔が見える息の長い支援を目指しています。もう、いても立ってもいられない───そんな思いを抱く多くの人々の支援参加をお待ちしています。
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