原発の不安と物資不足の中で―高齢者施設の現状【福島発】

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避難生活により容態が悪化した利用者を介護するシニアガーデンの鈴木洋子専務(中央)右は難民を助ける会の田中育(5月19日 福島県福島市)
避難生活により容態が悪化した利用者を介護するシニアガーデンの鈴木洋子専務(中央)右は難民を助ける会の田中育(5月19日 福島県福島市)

   難民を助ける会では、東日本大震災による被災者支援活動を行っています。5月19日には福島県福島市の高齢者施設「シニアガーデン」と相馬市のグループホーム「えくせる」に、電気釜、電気ポット、ゴミ袋やタオル、肌着、靴下などの衣類と菓子類をお届けしました。

認知症の高齢者を抱え、避難先を転々と

   シニアガーデンは、認知症の高齢者のためのグループホームで、元々は福島県双葉郡富岡町にありました。大地震発生後、隣の児童館にひとまず避難しましたが、その後、施設が福島第一原子力発電所から9km圏内にあったため避難指示が出され、同郡川内村の蕎麦屋のお座敷に避難しました。さらに川内村にも屋内退避指示が出されたものの、大規模な避難所では高齢で認知症の方々が一緒に生活するのは困難。行くあてがなかったところに、福島県認知症グループホーム協議会の紹介で福島市内の施設に移ることができ、3月22日からは福島市内のアパートを自費で借り、グループホームを運営されています。現在は15名の利用者がいます。


   認知症の高齢者の方々にとっては、小さな環境の変化が大きなストレスに繋がります。シニアガーデン利用者の70歳代の男性は、こうした過酷な避難生活が過度のストレスとなり、胃潰瘍出血・吐血・下血を起こし、血圧が70まで下がり救急搬送されたものの、被ばく検査のためのスクリーニングを行うまでなかなか救急病院に収容してもらえなかったそうです。


   シニアガーデンを管理する鈴木康弘社長・洋子専務ご夫妻は、利用者と職員の命を必死で守ろうと、ここまでこられました。鈴木洋子専務は、「グループホームは第2の家族。富岡町にはいつ戻れるかわかりませんが、『利用者さんの最期を看取るまで』の信念のもと、奮起してやっています」と語っておられました。しかし、避難生活の中で体調を崩す利用者も多く(現在も2名が入院中)、支援もなかなか届かず、消耗品や食品を長期的に支援して欲しいとのことでした。


   シニアガーデンの職員の皆さまは、みな温かく笑顔で献身的な介護をされており、職員の方との会話や交流は、利用者の方の健康に欠かせない「薬」なのだと実感しました。

原発の不安と、物資不足の中で

えくせるの皆さまに物資をお届けしました。後列左から2番目は難民を助ける会の田中育(5月19日 福島県相馬市)
えくせるの皆さまに物資をお届けしました。後列左から2番目は難民を助ける会の田中育(5月19日 福島県相馬市)

   相馬市のえくせるは指定認知症対応型グループホームで、福島第一原子力発電所より37km圏内に位置し、現在は寝たきりの方3名を含む、9名の高齢者が利用されています。


   震災後も原発の影響で未だに物資が手に入りにくい状態です。これからの夏場は33度近くまで気温が上がりますが、電力不足から節電要請も来ることが予想され、暑さ対策に不安を抱かれていました。その一方で、認知症の方は環境が変わるとパニックに陥るため移転も決断できなかったとのことです。


   グループホームえくせるがある福島県の海沿いの地域では、原発による先の見えない不安、放射線と避難指示の恐怖、物流の不十分さが常に人々を悩ませています。特に障害者や高齢者を介護されている福祉施設には、こうした不安が重くのしかかっていることを、今回の訪問であらためて実感しました。

   難民を助ける会では、支援の手がなかなか届かない福島県の高齢者施設などへ、支援を継続してまいります。

(難民を助ける会 仙台事務所 田中 育)



認定NPO法人 難民を助ける会
1979年、インドシナ難民を支援するために、政治・思想・宗教に偏らない市民団 体として日本で設立された国際NGOです。
2011年3月11日に発生した東日本大震災を受けて、地震発生当日より活動を開始。宮城県仙台市と岩手県盛岡市に事務所を構え、緊急・復興支援を行っています。
活動にあたっては、特に支援から取り残されがちな障害者や高齢者、在宅避難者、離島の住民などを重点的に支援しています。食料や家電などの物資の配布、炊き出し、医師と看護師による巡回診療など、多面的な活動を続けています。
■ホームページ http://www.aarjapan.gr.jp
■ツイッター  http://twitter.com/aarjapan

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