「あの時、貴重品に気持ちが奪われていたら…」【岩手・大槌発】

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証言【3.11東日本大震災】佐々木良司さん(62)

(聞き手:ゆいっこ花巻支部 増子義久)


「助けられた命。おばあさんに恩返しをしなければ」と語る佐々木さん=安渡小学校の避難所で
「助けられた命。おばあさんに恩返しをしなければ」と語る佐々木さん=安渡小学校の避難所で

   おれは運のいい男だとつくづく思うよ。これまでの人生で3度も死に損ない、今度も向かいのおばあさんに助けられた。生後間もないころ、麻疹(はしか)にかかって「この子は今夜一晩だけの命」と言われたのに無事、生還。小学校5年の時は車に10メートルも跳ね飛ばされて生死をさ迷った。漁師になってからは船の上で寝込みを襲われ、ビ-ル瓶で両腕を切り付けられた。な~に、酒を飲んだ上での喧嘩さ。よくあることさ、そう詮索(せんさく)するなよ。22歳の頃だったかなぁ。ほれ、その時の怪我で両指が真っ直ぐに広がらなくなってしまったよ。


   あの日、おれは血圧検査のため、町内の病院にいた。診察の前、とんでもない揺れが来た。車で自宅に取って返した。ばあさん(母親)と妹の3人暮らし。ばあさんは山の方のデイサ-ビスにいて無事。妹もどこかに避難したのかいなかった。おれは通帳などを持ち出そうと2階に上がろうとした。その時だよ、足の不自由なおばあさんが向かいに住んでいることをふと思い出したんだ。その人を乗せて高台の小学校へ。あの時、貴重品に気持ちが奪われていたら、完全にお陀仏だったな。


   中学を卒業して15歳で漁師になった。神奈川県三浦市を母港とする遠洋マグロ漁船。世界各国の港に寄港しながら、半年間は海の上の生活。オ-ストラリア、ケ-プタウン…。稼ぎも良かったし、遊びに夢中だったから嫁さんをもらう頭はなかったな。25歳ころから、漁場は大西洋に移った。同じマグロ漁船だったが、漁期は短くて2年、長い時は4年に及ぶことがあったな。


   39歳の時、オヤジも年だからと陸(おか)に上がって、今の定置網漁に仕事を変えた。でも、長い遠洋暮らしで、漁船が家のようなもの。体も陸いるよりは海の方が性に合っているな。「津波が来たら沖に逃げろ」って言うだろう。海のど真ん中にいると、地震も津波もな~にも感じない。これまでも海の上で世界のあっちこっちの大災害に接したが、漁業無線を通じてその惨状を知るだけ。足元の海は穏やかなもんだから、実感がわかない。「津波不感症」っていうのか…。


   でも、今度だけはその恐ろしさを思い知らされたな。家々が炎を吹きながら眼下の市街地を漂流している。おれの姉夫婦も家ごとさらわれ、婿さんは遺体で見つかったが、姉はまだ行方不明。今年2月に新築した甥っ子の家も全壊してしまった。それにしてもこんな地獄みたいな光景を、おれはあっけらかんとした気持ちで眺めていたんだよ。その自分の気持ちって、何なのかと…。


   「板戸一枚下は地獄」って知ってるかい?漁師はいつも死と隣り合わせということさ。いつも死を覚悟している、つまり、絶えず「地獄」を予感しているから気持ちが動かなかった。理屈を付ければ、そういうことかも知れないな。でも、今度だけはおばあさんに助けられた命だ。だからこうやって毎日毎日、瓦礫(がれき)の下から定置に使う浮き玉や破れた網を拾い集めているのさ。この秋にはサケは必ず戻ってくる。それを自分の手で捕まえて、おばあさんに食べてもらいたい。その一念さ。



ゆいっこは民間有志による復興支援組織です。被災住民を受け入れる内陸部の後方支援グループとして、救援物資やボランティアの受け入れ、身の回りのお世話、被災地との連絡調整、傾聴など精神面のケアなど行政を補完する役割を担っていきたいと考えています。
岩手県北上市に本部を置き、盛岡、花巻など内陸部の主要都市に順次、支部組織を設置する予定です。私たちはお互いの顔が見える息の長い支援を目指しています。もう、いても立ってもいられない───そんな思いを抱く多くの人々の支援参加をお待ちしています。
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