今ごろになって、大震災直後の原発事故の様子が相次いで公表されてきた。菅総理がサミットに出席するからだろう。これまで情報を出すと約束してきたからだ。しかし、その割には不手際が多すぎる。菅総理は、いろいろ口を挟むが、成果が出るまでは部下の責任、いい成果が出たら俺の成果という、駄目なトップ像がでてきた。その一例が、2011年3月12日の東京電力福島第1原発1号機への海水注入問題だ。
まず政府内での誤解からはじまった。5月21日に公表された当初の政府資料では、「12日18:00~18:20ごろ、菅総理が原子力安全委員会、原子力安全・保安院等に海水注入の検討を指示」したが、斑目委員長から「再臨界の危険性がある」との意見が出されたとされていた。
「可能性はゼロでない」巡る混乱
しかし、斑目氏がこれに対して、「可能性はゼロでないといっただけ」と猛烈に抗議した。これはリスクに対する無理解が招いた悲劇だ。私もマスコミの人に対して話すときによく感じるのだが、リスクをしばしばゼロかイチで考えたがる。リスクというのは確率表現なのでゼロかイチではなく、その間なのだ。
「可能性はゼロではない」という言い方は、専門家では当然である。ゼロの可能性なんてまずない。今この瞬間でも、隕石が落ちてきて死ぬ可能性はゼロではない。ところが、可能性はゼロでないというと、すぐ可能性はイチ、すなわち100%確実と思い込む人が少なくない。斑目氏も「可能性はゼロでないがゼロにきわめて等しい。事実上ゼロだ」といえばよかった。
5月22日に訂正された政府資料では、斑目氏の意見は「可能性はゼロではない」と書き直されたが、その部分しか書き換えられていないので、菅総理は斑目氏の意見を誤解して間抜けな検討を行ったことが、明らかになってしまった。
しかし、斑目氏の意見について、菅総理は再臨界の危険性があると認識したとされ、それが海水注入の中断問題につながってくる。
これは東電と政府との間の話であるが、菅総理のトップの資質がでている。5月22日に訂正された政府資料では、「19:04 東電が海水(ホウ酸なし)試験注入を開始。19:25 東電が海水試験注入を停止」とあり、「東電の海水試験注入開始・停止は、官邸には報告されていなかった。※東電担当者から保安院に口頭連絡したが、保安院側にはその記録はない」との注記がされている。
菅総理は5月23日の衆院東日本大震災復興特別委員会で、海水注入中断について「私が止めたことは全くない」と関与を否定。東電による海水注入についても「報告が上がっていないものを『やめろ』とか『やめるな』というはずがない」と述べた。