たくさんの「想いの詰まった」コンテナハウス
設置にあたっては、事前に大崎八幡宮という仙台にある国宝神社の方々が仮に組み立てて、手順や設備の確認をし、輸送の際に破損した部分は板金屋の「竹林舎」の方々が見事な職人技で直してくださった。
また10日、11日の設置当日には、東北グレーダーという仙台のプレハブ会社から4名、大崎八幡宮の小野目宮司と神社の職員6名、難民を助ける会の堀江事務局長、福岡の広告代理店ゼンプロの2名、小西美術工藝社の成田氏、私の友人で米空軍のディラン・モナハンさんなど、総勢15名以上が、ボランティアとして参加してくださった。
避難所の方々は、最初のうちは興味深そうに遠くから見ているだけだったが、後半はパネルについたビニールカバーを外す作業などを手伝ってくれるようになった。その一人に「このコンテナハウスどうでしょうか?」と恐る恐る尋ねてみた。正直言って、どんな反応があるか、少し怖かった。
「プライバシーのある空間が確保されるのでとてもうれしいです。2カ月間他人と一緒なのはやはり気を遣います」と家族5人で避難生活を送る鈴木さん。完成したコンテナハウスで(2011年5月10日、宮城県女川町)
「思ったより広くてしっかりしているね。ただの箱のようなものがくるのかと思っていたから」「今、 避難所には4家族が暮らしている。もうそれこそプライバシーなんか一切ないし、そんなこと気にしたこともなかった。皆、昔から知っている間柄だから。それでも、こんな集団生活が2カ月も続くと、精神的にも疲れてくる。家族だけで話し合う場所さえ一切なかったから。こういう家族だけで寝る場所があるだけでありがたい」
涙が出そうになった。本当は政府の仮設住宅のようにもっと広く、すべて完備されたものがあればいいに決まっている。しかし、そうした政府の支援がなかなか行き届かない中で、何とか一日でも早く被災者の方々の精神的な負担を和らげるために、コンテナハウスを贈るプロジェクトを開始したのだった。
数多くの障害を乗り越え、苦労を重ねて、たくさんの方々の支援を受けて、皆の「想いの詰まった」コンテナハウスの第一号を設置することができた。そしてこのコンテナハウスが実際に被災者の役に立つのだということも肌で感じることができた。
女川町にはまだあと24棟設置することになっている。また南三陸町や石巻市からも設置要請が入っている。
プロジェクトはまだ始まったばかりだ。これからも、一刻も早く、一棟でも多く、被災地にコンテナハウスを設置して、復興に役立ててもらえるよう努力を続けていきたい。皆様の変わらぬご支援をお願いしたい。
(難民を助ける会)
認定NPO法人 難民を助ける会
1979年、インドシナ難民を支援するために、政治・思想・宗教に偏らない市民団
体として日本で設立された国際NGOです。
2011年3月11日に発生した東日本大震災を受けて、地震発生当日より活動を開始。宮城県仙台市と岩手県盛岡市に事務所を構え、緊急・復興支援を行っています。
活動にあたっては、特に支援から取り残されがちな障害者や高齢者、在宅避難者、離島の住民などを重点的に支援しています。食料や家電などの物資の配布、炊き出し、医師と看護師による巡回診療など、多面的な活動を続けています。
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