被災地では、いまでも避難所での不自由な生活を強いられている方が多くいます。長引く集団生活によるストレスや精神的な疲労が健康にも影響を及ぼし始めていますが、仮設住宅の供給はまだまだ間に合っていません。
そこで難民を助ける会では、国際ジャーナリストの菅原出氏を発起人として、組み立て式で設置の容易なコンテナハウスを被災地に送るプロジェクトを開始しました。
このたび5月10日に宮城県牡鹿郡女川町にて、長引く避難所生活を送る被災者の方々のためにコンテナハウス6棟を設置しました。今後、女川町にあと24棟設置するほか、その他の地域でも設置していく予定です。
プロジェクトの発起人である菅原出氏からの、5月10日の女川町での設置の報告です。
震災当日とほぼ同じ状況だった指ケ浜地区
5月10日、宮城県女川町の中心部から数キロ北上した沿岸部の小さな集落にある「指ケ浜かっぱ農場避難所」とその裏にある民家に、コンテナハウスをそれぞれ4棟と2棟設置した。
女川町は宮城県沿岸部の被災地の中でも特に被害がひどく、町の8割近くが壊滅的な打撃を受けたところである。高台が少なく仮設住宅を建設する用地がないことで、テレビなどでも報じられている町だ。今回コンテナハウスを設置した指ケ浜地区は、その女川町の中でも特に被害がひどく、しかも町の中心から離れているため行政からの支援が行き届いていない地域だった。実際現場を訪れて驚いた。もう震災発生から2カ月が経とうというのに、瓦礫の撤去から道路の修復まで、ほとんど一切進んでおらず、震災当日とほぼ同じ状態のままといっても過言ではない状況だったからである。
沿岸部を走る狭い国道沿いの道から、舗装されていない農道を山側に入っていくと、瓦礫の山の奥の高台に民家があり、そこが避難所になっていた。必ずしも広いとはいえない一軒家で、現在4家族が避難生活を続けていた。もちろん、水道も電気もまだ復旧していない。その小さな避難所の手前の空き地が、コンテナハウスの設置場所となっていた。