(ゆいっこ花巻支部;管理栄養士 川端理香日記)
5月6日
津波の被害をうけた場所をどうするのか?
住んだり、事業をはじめて良いものなのか?
いつまでも方向がみえない町内では、半壊のコンビニが営業をはじめています。
また仮設の役場前に、不動産屋のプレハブも立ちました。
そして被害の大きかった役場と消防署の間に、ガソリンスタンド店も営業を再開しました。
10L単位、こうしてスポーツジムのエアロバイクみたいなものをおじさんが漕いでガソリンを入れます。
笑ったら失礼かもしれないけれど、瓦礫といまだに重い空気の中で気持ちがほっこりした瞬間でした。
町の復興には、人が集まる場所=店も必要です。
町の中心がどこになるのかによって、営業する場所を確保しようとする事業者の方の意見はもっともだと思いますが、今日行われた商工会の説明会をきいても、若干の矛盾があったりして混乱を感じます。
夏まで言われたように待つのか。それとも行動するのか。
今回の災害で、時間は永遠ではないことを感じました。
だから例えば復興に10年かかるといわれたら、それを3年でやるくらいの気持ちがあっても良い気がします。
明日やる。いつか出来るようになる。そう呑気に練習している選手にいつかはきません。勝負は勝負できるときにする。
ある監督がミーティングの時にいった言葉を思い出します。
5月7日
今日、東京へ戻る私にとっては、この解体の決まった釜石観光船「はまゆり」はもう見る事はできないと思います。
あの津波当日。私の父は造船所で、この観光船「はまゆり」の定期点検をしていました。
ですから、津波後にほとんど情報がなく報道されなかった大槌町を上空からの映像として真っ先に、このビルの上に乗った「はまゆり」が映った時には、父の安否を覚悟しました。
そんな観光船「はまゆり」を、この津波被害を後世に伝え教訓や啓蒙につなげようと、全国の有識者が署名活動を行っていました。
その甲斐もあってか、船を所有する釜石市と船がある大槌町が協議し、一時は保存の方向へむかいました。
が、その流れが一転。
翌日には「はまゆり」解体が発表されました。
「はまゆり」を現存のまま保存するかどうかは別としても、一時的に移動したり、もう一度海にもどそうという動きや、ボランティアでもそれを行いたいという業者があったということもききます。
なぜそういう選択肢ではなく、莫大なお金を市が払ってまで解体することにしたのか。
そんな予算があるのならば、避難所で生活する人たちが自立するために使うなどしても良いのではないかと思ったりもします。
決めるのは市や町です。
でも住民が意思を声にすることの大事さを指摘され、気づきました。
ゆいっこは民間有志による復興支援組織です。被災住民を受け入れる内陸部の後方支援グループとして、救援物資やボランティアの受け入れ、身の回りのお世話、被災地との連絡調整、傾聴など精神面のケアなど行政を補完する役割を担っていきたいと考えています。
岩手県北上市に本部を置き、盛岡、花巻など内陸部の主要都市に順次、支部組織を設置する予定です。私たちはお互いの顔が見える息の長い支援を目指しています。もう、いても立ってもいられない───そんな思いを抱く多くの人々の支援参加をお待ちしています。
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