東電の福島第1原発事故によって、原子力政策そのものにいろいろな批判が向けられてきた。その一つは、原発の発電コストだ。これまで、政府資料では原発の発電コストは最も安いものとされ、原発推進の理由の一つだった(もう一つは「原発はCO2を出さないので環境にいい」)。具体的には、原子力5.6円/kWh、火力6.2円/kWh、水力11.9円/kWhだ。
この計算に対しては、「モデル計算で現実を反映していない」「税金投入が考慮されていない」などの反論があった。それらを考慮すると、必ずしも原発の発電コストは最も安いとはいえないという主張だ。
電力自由化の「キモ」とは
しかしながら、その反論にはさらに再反論もあって、なかなか一筋縄ではいかない。データで検証しようにも、最終的には、電力会社という民間会社の企業秘密の壁にぶち当たる。
一般的なコスト論については、学者の研究対象になっても実際の市場では競争で結果がでてしまう。電力について、原子力、火力、水力、その他のエネルギーで、コスト論があること自体、競争がなかった結果だ。
電力といえば、経済学の教科書でも地域独占の典型になっている。電力事業では巨額の設備投資が必要だ。そのため固定費用が大きく、平均費用はなかなか低下せず、地域で1社しか存続できない。こう習った人も多いだろう。今でもそう教えているところも多い。
ところが電力事業を発電と送電に分けると、最近の技術進歩によって、発電で地域独占の理由はとっくになくなっている。今や、太陽光発電などで小規模発電設備も可能なのだ。となると、NTT民営化で、電話網を開放することによって電話会社の新規参入を促したように、電力事業も発電と送電を分離して、送電網を開放し、発電事業に新規参入というアイディアも自然にでてくる。これは、前々から指摘されていたことだ。ちなみに、独禁法においても、地域独占の適用除外規定は2000年改正で削除されている。
送発電の分離こそが、電力自由化のキモである。これができれば、抽象的なコスト論は意味がなくなる。個々の発電会社が参入して競争を行えばいいのだ。安定供給をモットーとすれば多少のコスト高も容認されるだろう。