(26日大槌発=ゆいっこ花巻支部;増子義久)
「復興より復旧を」―。雲仙普賢岳(平成3年6月)、北海道・奥尻島の津波(平成5年7月)、阪神・淡路大震災(平成7年1月)…など数々の自然災害を取材してきたルポライタ―の鎌田慧さん(72)が26日、東日本大震災の被災現場に立ち、「自然に立ち向かうことの無謀さが証明されたにも関わらず、またぞろ『強固な防災都市づくり』などという発想が政治家や官僚の間で大手を振ってまかり通っている。復興優先の政策ではなく、まず被災者の生活環境がマイナスからゼロへと回復するような復旧を先行させなければならない。『創造的な復興』という美名の背後には弱者切捨ての底意が見え隠れする」と語った。
奥尻島では津波災害後、島の周囲に総延長約14キロの防潮堤をめぐらし、最も高い所では11メートルに達する。「まるで高い壁に囲まれた要塞みたいな感じ。今回の大災害はその高さを軽々と越えてしまった。つまりは人間が勝手に作り出す『想定』がいかに当てにならないものか―白日の下に晒されたということだ。さらに本来、海が見える町から海を遮断するのは人間性の否定-人権無視にもつながる。海を見ながら、その海とどう折り合いを付けて生きていくのかということが今、問われているのではないか」。鎌田さんは奥尻島の取材経験からこうも話した。
今回の大災害では津波の発生と同時に火災も発生した。「火のついた家が津波の渦に巻き込まれてあっちこっちを漂っていた。その火が今度は漁船に燃え移り、こっちに向かってきた」と被災者たちはその恐怖を口にした。「まさに地獄絵。灯篭(とうろう)流しの光景みたいに瞼(まぶた)に映った」と鎌田さんは語り、言葉を継いだ。「被災者の人たち自身が自然に打ち勝つという考えの空しさを知ったと思う。この人たちの気持ちを足蹴(あしげ)にすることは許されない。人間と自然の根本のありようが日本人全体に突きつけられているのだと思う」
当時の模様を説明していた柏崎浩美さん(50)が「そうなんだ。我々の側にも慢心があったのではないか」と相槌を打った。「最低限の防潮堤はもちろん必要だろうが、それよりも避難路を整備するなど絶えず津波に対する心の備えを準備する方がはるかに大事だ。自然に対する畏怖(いふ)の感情を忘れないためにも…」
ゆいっこは民間有志による復興支援組織です。被災住民を受け入れる内陸部の後方支援グル―プとして、救援物資やボランティアの受け入れ、身の回りのお世話、被災地との連絡調整、傾聴など精神面のケアなど行政を補完する役割を担っていきたいと考えています。
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