この村はまた5合目から持ち直す
「宿っていうより、田舎の親戚のウチに来たみたいな。そんな風に使ってほしい」
夫で3期目の村会議員の幸正さん(64)、お姑さんのおばあちゃんトミエさん(84)も冗談好き。明るい家族だ。リピーターも増え始め、日帰りを含めた利用者は、2009年、10年と200人程度になった。首都圏の家族連れや団塊世代夫婦が多いそうだ。
「大丈夫ですか。村が安全になったらまた行きますから」。泊まってくれたお客からの電話に、ハツノさんは、とてもうれしいし、ありがたいと感じている。それでも、以前は少しだけ「安全になったら」という部分はひっかかっていた。「別に危険じゃないのに…」という思いがあったからだ。
村内では、「村が呼んだのか、県や国が派遣したのか知らないけど」(ハツノさん)、「放射能専門家」の大学教授らの講演会が相次いであり、「村は安全だ」と訴え続けていたという。4月10日にも地元中学校で大学教授の講演があった。「500人は参加してたかな」。ハツノさんも聞きに行った。やはり内容は「原発に近い村最南端部を除き、基本的に村は安全だ、安全だ」という話だったそうだ。ハツノさん宅は村中央部付近だ。
ところが、その翌日の11日、村全域の「計画的避難区域」入りが公表された。
「みんなずっこけましたよ。何だったんよ、昨晩の『安全だ』講演会は、って。口先だけかぁって」
こうなってしまっては、「村は安全じゃない、とよその人から思われても仕方ないかも」。
ハツノさんは、行政だけに頼らず村民が自主的に参加する村づくりについて、「8、9合目まで到達していた」と原発事故前は高く評価していた。
いまどこまで後退したのか。ハツノさんが「何合目やろうか」と問いかけると、幸正さんは「5合目」と即答した。「計画的避難」が実行されても、「村を再興しよう、という気持ちはこの村にはまだ残ってる」。ハツノさんも続けた。「踏ん張る。がんばる。これまでの村起こしの土台があるから。この村はまた5合目から持ち直す」。