【フクシマ 苦悩の地はいま】 「村は安全」講演翌日に「計画的避難」  「みんなずっこけましたよ」

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   春は年配夫婦が山菜採り。夏秋は家族連れの野菜の収穫体験。ナス、キュウリ、カボチャ。

「小さいお子さんならトウモロコシなんかはもう、喜んじゃって大はしゃぎですよ。キャーキャー言って」

   福島県飯舘村飯樋の「までい民宿どうげ」のおかみさん、佐野ハツノさん(62)はうれしそうに説明する。でも、これは事故までのこと。2011年春、事態は一変した。

   「までい民宿どうげ」は3月中旬から開店休業状態が続く。オープンは2006年。最初の5年間は民宿業の修行、それから本腰を入れ、ゆくゆく葉タバコ栽培はやめ、これ一本で。ハツノさんはこう考えていた。

   寒い季節はシーズンオフ。3月から4月にかけてお客さんが増え始める。そんな矢先の原発事故だった。

二重にビニールで覆われたところで作ってる

までい民宿どうげを切り盛りする佐野ハツノさん(右)と宿泊客に大人気のばあちゃん
までい民宿どうげを切り盛りする佐野ハツノさん(右)と宿泊客に大人気のばあちゃん
「この天ぷらは、村でとれたタラの芽。寒さ対策で二重にビニールで覆われたところで作ってるから放射能は大丈夫。でも風評被害で買ってもらえないって。この大根は、去年の秋ウチの畑でとって干してたやつだから」

   4月19日、民宿どうげの夕食は、食材の安全説明から始まった。最初は、「おもてなしできる状態じゃない」と断られたが、無理をいって1人で泊めさせてもらった。夕食には、ご飯、味噌汁のほかに5皿がでてきた。味噌汁用のミソは自家製で、宿泊客らと一緒にハツノさんが2010年に作った。

   母屋の居間での食事は、ハツノさん夫妻とおばあちゃんの家族3人もほぼ同じメニュー。記者用は盛りが少し豪勢だ。

   朝からぱらついていた雪が夕方から強くなり、19時ごろには数センチは積もっていた。

   民宿を開業する前、10年間近く村の農業委員を務め、グリーンツーリズムを推進していた。委員を辞めた後、宿泊分野に自から乗り込み、村の農産物消費拡大に一役買いたいと考えたのだ。

   1000平方メートル以上ある敷地には、母屋や倉庫、離れなど6棟がある。道路1本はさんで西側の向かいには佐野さんのところの畑や田んぼが広がる。北側の丘の先には、繁殖牛5頭を飼う牛舎・牧場もある。

   宿泊スペースは、2階建て母屋1階の8畳の部屋3室だ。ふすまで仕切られているので3室を1部屋としても使える。50平方メートル程度の離れも利用してもらっている。

   宿泊は1組しか受け付けない。10人だろうが、2人だろうが「1組」だ。1泊2食つき6000円。例年なら佐野家の畑の野菜の収穫も楽しむことができた。

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