「参った」を3回も口にする
その後、順調にファンを増やしてきた。首都圏から「今年もおいしかった」とお礼の手紙をくれる人もいるし、お花見シーズンには、福島市の1会場だけで500ミリリットル換算にして200本も売れるようになった。年間に造るのは500本程度だ。
どぶろくもそうだし、茶屋で出す、近くで採ってきたタラの芽のてんぷらなど季節の素材を使った料理も喜んでくれる人が増え、千栄子さんの生きがいになっていた。3年前には乳がんになり、抗がん剤で一時は「毛が抜けて頭ツルツルでお店に出てた。楽しみにして店に来てくれる人がいるかと思うと休めなかったもの」。
2010年には夫勝男さん(73)も肺がんと診断された。それでも明るく前向きに、どぶろくを買いにきたお客さんを茶屋のいろりへ誘い、サービスで手製和菓子やお茶をふるまい冗談話で笑いを誘っていた。
しかし、福島第1原発事故が1か月を超える長期戦となり、すっかり様子が変わってしまった。「今日がどんなにつらくても、明日。明日がダメでも明後日は明るい未来があるって思ってずっと生きてきたのよ。でもね、放射能には参った」。笑顔を見せようとしても千栄子さんの表情はどこかひきつっていた。「参った」と3回も口にした。