歌手の長渕剛さん(54)が被災地の宮城県をおとずれ、航空自衛隊松島基地(東松島市)などを慰問した。自身の曲を歌いながら、隊員たちへの感謝と復興への力強いメッセージを送った。慰問の様子は話題を集め、「感動した」といった書き込みがツイッター上でも飛び交っている。
長渕さんが宮城県を訪れたのは2011年4月16日。ジーパンにTシャツ、レザージャケット姿の長渕さんが、避難所となっている高校で2曲を熱唱。そのあとに訪れたのが松島基地だった。
「自衛隊のみなさんにあいたくて、あいたくてたまらなかった」
ふだんは約1100人の隊員が常駐するが、現在は震災の応援隊員とあわせ、2000人以上が基地内で生活している。任務は行方不明者の捜索、瓦礫の除去、医療支援や炊き出しなど多岐に及ぶ。
松島基地の格納庫の中で長渕さんは、集まった隊員たちを前に、「大きい声で一緒に歌おう」「君たちにあいにきた」「自衛隊のみなさんにあいたくて、あいたくてたまらなかった」と発言。自衛隊員の活動する姿を見るにつけ、「そばにいって励ましたい」という思いが募っていたという。
「この国がね、この街がね、絶望に伏してしまって何をしていいか、わからなかった。何もなす術がなかった。そんなときにみんなの勇姿、みんなの瞳、みんなの動き(を見た)。オレは日本がダメかと思った。だけれども、そこに日本があった。みなさんは日本の誇りです。僕の僕の僕の、大事な誇りです」
隊員の精神的な疲労は、極限に達している
代表曲の「とんぼ」「乾杯」「HOLD YOUR LAST CHANCE」を含む6曲を熱唱した。「乾杯」では、隊員たちが肩を組んで体を揺らし、長渕さんがマイクを向けて歌うように促すと大合唱に。「HOLD YOUR LAST CHANCE」では、歌詞にある「傷つけ打ちのめされてもはいあがる力がほしい」という言葉に静かに耳を傾けていた。
松島基地の広報担当者は「(震災後の)生活で隊員たちは、テレビを見る時間も、ゆっくり食事を取る時間も、もちろん音楽や文化的な時間もほとんど割くことのできない制限された生活をしている」と言う。
しかも、今最も力を入れている任務は、行方不明者の捜索だ。遺体を目にする毎日。士気も高いとはいえ、応援に駆けつけた隊員たちの精神的な疲労は、極限に達している。そうした中での長渕さんの生歌。隊員たちのモチベーションも上がったようだ。
最後の曲を前に長渕さんは、こうも話した。
「まだまだ(復興までに時間が)かかるかもしんないけどさ、みんなで力を合わせて、(隊員たちの)腕章に刻んでいる『絆』を大事にして、1つずつ1つずつ前へ前へ進んで行こうよ。オレも頑張るからみんなも一緒に頑張ろうよ」
長渕さんの慰問の様子は、ツイッターでも話題を集めた。「感動ものでした。自衛隊の皆さんへのねぎらい素晴らしい」「涙する一人一人の隊員の方達の顔を見て改めて彼らの激務と使命感に感謝し祈る気持ちになる」「自衛隊を慰問した長渕剛さんの歌を聴いた隊員が男泣きしていたのが印象的だった」といったものだ。
なお、長渕さんは4月3日、東日本大震災復興支援を願うラジオ番組を自らが企画し立ち上げ、FM青森、FM岩手など被災地の10放送局ではじめた。第1回の番組の冒頭、復興への思いをつづった散文詩「復興」を、ときおり声をつまらせ、怒りを込めながら読み上げた。詩は、「私たちのささやかな営み」を奪い去った海への「憎しみ」を露わにしつつも、現実に対峙する「覚悟」を力強く詠んでいる。