枝野幸男官房長官は、2011年4月10日、復興財源で「日銀の国債引き受けという形を取らない」と明言した。その理由として「国債の信認」を損なうとしている。白川方明日銀総裁も、国会において、日銀の国債引受は「通貨の信認が損なわれる」と反対を表明している。
一方、日銀の直接引き受けによる復興財源の確保は民主党有志議員による「日本銀行の在り方を考える議員連盟」(山岡賢次会長、金子洋一事務局長)や自民党の、中川秀直衆院議員(元幹事長)、山本幸三衆院議員(元経済産業副大臣)らが主張していた。
「通貨・国債の信任損なわれる」とは何か
この議論は、通貨・国債の信認が損なわれるというが、奇妙なことに誰一人もどのような状態をいうのか説明しない。通貨・国債の信認は無定義語だ。
私が長年勉強した数学では、定義、それから導かれる定理、定義から定理を導く過程を説明する証明しかない。この意味で、定義はきわめて重要だ。それにくらべて、社会科学では定義をきっちりしないで議論がはじまる。端から見ていると議論の混乱のほとんどは定義なしに由来する。
例えば、デフレ。国際社会では、DEFLATIONは持続的な一般物価の下落ということで2期連続の一般物価下落をいうが、デフレになると、一般物価を個別価格と勘違いしたり、不況DEPRESSIONのことをデフレといったりで、ほとんどの議論は定義もない意味なしだ。
通貨・国債の信認も日銀・財務省の明確な定義はない。私流に考えると、通貨の価値は一般物価や為替で計れる。カネとモノの相対的な量を考えてみて、カネのほうが多くモノのほうが少なければ、カネの価値は低くなるがモノの価値は高くなって一般物価は高くなる。また他の通貨(例えばドル)と比べても、円のほうが相対的に多ければ、円のほうが価値が低く円安になるからだ。
要するに、通貨の価値が低くなることが信認が損なわれるというなら、一般物価が高くなり、為替が円安になるので、これらは数値で表すことができる。また、一般物価が高いなら、金利も高くなり、そのときには国債の価格は下落しているので、国債の信認も数字で表すことができる。
なぜ、一般物価、為替、金利のうちどれか一つでもいいから、数字でいわないのだろうか。
一般物価の上昇の悪い例としてハイパーインフレがよくでてくる。これは経済学では定義されていて、年率1万3000%(130倍)だ。こうなると、私も通貨の信認は失われると思う。
国際会計では年率30%上昇でも不味く、ハイパーインフレという。これでも通貨の信認は失われているといってもいいだろう。その時は金利も30%以上になっているから、10年国債の価格は9割以上も下落するので、さすがに国債の信認も損なわれるといっていいだろう。