本連載用に写真を送信しようとした時だった。7日午後11時32分ごろ、東日本大震災で最大の余震が襲った。僕はインターネットの接続と、カメラの充電用コンセントを求めて、岩手県一関市の飲食店にいた。揺れを感じた直後、店内は真っ暗になり、レジは倒れ、揚げ物用の油の臭いが充満した。僕は急いで気仙沼市に車を走らせた。
夜が明けると、気仙沼市の一日は普通に始まった。復興支援に訪れている自衛隊も土木関係者も普通に瓦礫の中で作業を始めていた。揺れに慣れていない僕だけが浮き足立っているようだった。
フカヒレなどで有名な気仙沼港は今回の震災でかなりの地盤沈下を起こしたという。港周辺では、いまだに水に浸かっているところも多い。車が通行できないところを歩いていると、3隻の大型漁船が重なり合うようにして道路を塞いでいた。地元の人々がトンネルをくぐるかのように船の下を行き交い、作業を続けていた。復興への道のりは果てしなく遠い。(カメラマン・会田法行)