78年前の昭和大津波の教訓生きた 高台へ移り住んで無事だった集落

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   78年前の大津波の後、全戸が高台に移り住んで、今回も被災をまぬかれた集落があった。陸前高田市広田町の集(あつまり)集落のいまを、岩手日報が伝えている。

   「おかげさまで、今度も助かりました」と語るのは集落の古老、伊藤アヤノさん(101)。今回、津波はアヤノさん宅の数メートル下まで駆け上ってきたが、24世帯全てが被害を免れた。

「今度こそ津波に負けない街を」

   アヤノさんは1933年(昭和8)の昭和の三陸大津波を体験している。当時23歳。集集落は海岸近くにあった。2歳の娘をおぶったまま津波にのみ込まれたが、たまたま高台に流され九死に一生を得た。夫と息子2人を含む家族5人は亡くなった。

   15人の犠牲者を出した集落は、その後全戸が高台へ移転。住民は78年前の教訓を忘れず、そこに住み続けた。

   アヤノさんの孫で市農林課職員の啄哉さん(40)は、避難所に指定されていた同市高田町の市民体育館で避難者を誘導中に津波に遭い、帰らぬ人となった。

   「なぜ避難所が…。小中学生の子ども3人を残して逝った息子の無念は、どれほどのものだったろうか」。アヤノさんの長男で、啄哉さんの父一夫さん(72)は、痛恨の思いをこらえきれない。

   一夫さんは「漁のたびに坂道を往復する高台の暮らしは楽ではなかったが、集が犠牲者を出さなかったことで、津波から命を守るには高い所に住むしかないことが証明された」と話す。

   ゼロからの復興を目指す陸前高田市。啄哉さんの母テツ子さん(70)は「どんなに立派な防潮堤を造っても、いつかは(自然の力に)越される。生き残った人たちは今度こそ高い所に津波に負けない街をつくってほしい」と話した。

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