岩手県大船渡市の越喜来(おきらい)小学校に、津波から逃れる時間を短縮する非常通路をつけるよう提案し続けていた市議がいた。今回の大震災の3か月前、2010年12月に、その念願の通路ができた。市議は震災の9日前に病気で亡くなったが、津波にのまれた小学校の児童はこの通路を使って避難、全員が助かったという。(朝日新聞岩手版)
校舎はがけの下にある。津波避難には、いったん1階から外に出て約70メートルの坂を上って、さらに高台の三陸鉄道南リアス線三陸駅に向かうことになっていた。
「津波が来たとき一番危ないのは越喜来小学校ではないかと思うの。残った人に遺言みたいに頼んでいきたい。通路を一つ、橋かけてもらえばいい」。2008年3月の市議会の議事録に、平田武市議(当時65)が非常通路の設置を求めた発言が残っている。平田さんの強い要望が実現したのは2年半後、今回の津波にぎりぎり間に合った。
非常通路は約10メートル。校舎2階とがけの上の道路が直接つながった。3月11日の地震直後、71人の児童はこの通路を使って、ただちに高台に向かうことができた。その後に押し寄せた津波で、非常通路は壊され、がれきに覆い尽くされた。遠藤耕生副校長は「地震発生から津波が来るまではあっという間だった。非常通路のおかげで児童たちの避難時間が大幅に短縮された」と話している、という。
2部学級や分散授業でしのぐ
被災地では校舎の被害も甚大だ。「子どもたちの教育の場だけは確保してやりたい」。入学式、新学期を控えて自治体、住民あげての懸命の対応が続けられている。
仙台市だけでも4月の授業開始に使えない市立の小学校は13校、中学校も12校にのぼる。このうち17校では、他校や近くの公共施設などを使っての授業になる。(河北新報)
岩手県大槌町では小学校5校、中学校2校のうち、使えるのは小中とも1校だけ。少し収容力にある施設は避難所や遺体の安置所になっていて、代替施設もない。町教育委員会では午前と午後で生徒を入れ替える2部制や、学級単位で校舎外の施設を利用する分散授業を検討している。
始業日のメド立たない原発退避地域
原発事故を抱える福島県の浜通り地域はもっと深刻だ。県教委は3月29日、県立高校の始業日についての考え方を公表した。4月8日を基本としながらも、校舎の被害、通学事情、ライフラインの状況に応じて各校が決められるようにした。(福島民友)
避難・屋内退避エリア内にあるのは双葉、浪江、富岡、双葉翔陽、小高商、小高工、原町、相馬農、浪江津島校の9校。サテライト授業、通信教育などの態勢が整ってから始業日を決めるという。県を越えての転入学の弾力的運用も大きな課題になりそうだ。
いわき市教委は、新年度の公立小、中学校の入学式を4月6日とした。ただし、津波の被害にあった4校と原発事故で再開できない3校については、メドが立っていない。