「遠い遠い祖先からの遺伝的記憶」を思い起こす
災害は、たしかに不慮の「無常」のことながら、それは如何ともしがたい「おのずから」の、その「無常」だということである。「天然の無常」――、そうあらためて「覚悟」して受けとめなおすとき、そこに、われわれには不可知の、しかし大いなる「慈(いくつしみ)」の働きが働いてくるはずだ、と。そうしたことをふくめ「遠い遠い祖先からの遺伝的記憶」を思い起こしながら、そこで、それぞれのできうるかぎりの「みずから」の努力をするならば、いかなる大災害であれ、祖先たちがみなそうしてきたように、必ずや立ちなおることができるという確信が寺田にはあった。それが、当時、X線研究では世界でもトップレベルの物理学者であった寺田寅彦の主張であった。
「天然の無常」は「不可抗の威力」を持ってわれわれを襲う。生きているかぎり、生・老・病・死がまたそうであるが、われわれには、そうした「威力」を受けとめながら、なおしなやかに、すこやかに生きうる精神伝統が流れている。
##プロフィル 竹内整一
たけうち・せいいち/鎌倉女子大学教授、東京大学名誉教授。1946年長野県生まれ。専門は倫理学・日本思想史。日本人の精神的な歴史が現在に生きるわれわれに、どのように繋がっているのかを探求している。著書『「かなしみ」の哲学』『「はかなさ」と日本人』『日本人はなぜ「さようなら」と別れるのか』『「おのずから」と「みずから」』ほか多数。最新刊は『花びらは散る 花は散らない』。