ウェットで哀愁の漂う泣きのギター 日本人に人気だったゲイリー・ムーア

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   アイルランド出身のギタリスト、ゲイリー・ムーアさんが滞在先のスペインで死去した。58歳だった。日本でも1980年代から高い人気を持っており、音楽業界関係者からは余りに早い死を惜しむ声が挙がっている。

   国内外の報道によると、ゲイリーさんは休暇で滞在していたスペインの高級ホテルで2011年2月6日早朝(現地時間)、遺体で発見された。死因は明らかになっていないが、就寝中に亡くなったと見られている。

ハードロックからブルースの世界へ

   ゲイリーさんは1952年、北アイルランドのベルファスト生まれ。10歳のころからギターを始め、16歳のころバンド、スキッド・ロウでプロとしてのキャリアをスタートさせた。

   その後、驚異的なテクニックで頭角を現し、70年代にハードロックバンド、シン・リジィやジャズロックバンド、コロシアムIIなどに参加。80年代からはソロでの活動が中心となり、82年に発表された『コリドーズ・オブ・パワー』などは現在もハードロックの名盤として知られている。

   90年ごろから自身のルーツであるブルースに傾倒。同年発表された『スティル・ガット・ザ・ブルース』には、米ブルース界の巨匠、アルバート・キングや、元ビートルズのジョージ・ハリスンも参加した。

日本人の感性にもの凄く合っていた

   ハードロック、ヘヴィメタル専門誌『BURRN!』編集長の広瀬和生さんによると、ゲイリーさんは日本人にとって特別な「ギター・ヒーロー」だったという。

「ウェットで哀愁の漂う泣きのギターで、日本人の感性にはもの凄く合っていました。アメリカとかよりも日本での方が人気だったくらいです。ワイルドな速弾きもあるので『ギター・クレイジー』なんて愛称がありましたね。80年代初頭、洋楽ロックファンの間では絶大な人気だったので、今45~50歳くらいの方で衝撃を受けている人は多いのではないでしょうか。惜しい人を亡くしました」

   音楽評論家の伊藤政則さんは、2010年春、ゲイリーさんが21年ぶりの来日を果たしたときに会った。元々大きな体格だったが、以前よりも太っていたのが気になったという。伊藤さんは、

「本人は『体型は変わったけど、ギタープレイは変わってないよ』と冗談を言っていましたが、ハグしたときにもう両手が回りませんでした。2011年はハードロックのバンド編成で日本にやって来ると言っていましたが、その矢先に亡くなってしまった。演奏も『ここまでハードにやるのか』というくらい全く衰えていなかっただけに、とても残念です。契約の関係でブルースのアルバムを1枚制作していたという話もあるので、それが今後発表されるかも知れません」

と話している。

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